優しさの責任

 

人に優しくするのには責任が伴う。

 

と思う。

 

「お金を貰うわけじゃないし、人に優しくするぐらいで大げさな」これが普通の感覚だと思う。

心が荒んでる俺の解釈だと、人が人に優しくするには何か見返りを求めて優しくするのが普通だと断言する。

それは実利を求める優しさか、それとも周りから良く見られたいという優しさか、他には人を助けなかった場合の罪悪感から逃れる優しさかの3つに別れると思う(家族の優しさを除く)

俺は自己肯定感が低く自分を強く主張しないから、優しい人間だと思われがちだが、自分が出来る範囲の優しさしか出さない。

自分が責任の取れる行動と言葉しか言わないし、書かない。

「ずっとあなたの味方で必ず助ける」

この言葉は本当に重くて簡単には言えない言葉だと思う。だから俺は「ずっとあなたの味方で俺の出来る事で助けたい」と言う。

「ずっと味方で」は精神的な気持ちのことだから、この約束は守れる。しかし「必ず助ける」は自分をどこまで犠牲に出来るか分からないから「ずっとあなたの味方で必ず助ける」は俺は簡単には言えない。


「助けようと思ったんだから、結果的に力になれず助けられなくて嘘になってもいいんじゃない?」

そう思われるかも知れないけど、結局は軽はずみに「必ず助ける」と人に言われて助けてもらえなかった相手にはダメージが行くのである。それは表面上は「気にしなくて大丈夫だよ」と相手が言ったとしても、相手があなたの言葉を信じれば信じるほど、ダメージを受けるのだ。

だから、優しさには責任が伴う。

必ずだ。

人を本当に助けようとすると、自分も返り血を浴び、血反吐を吐く覚悟が必要だ。

「何を偉そうに」

そう思われるかも知れないが、俺は人を本気で助けようとした事がある。

自分の骨を切るどころか、灰になる寸前で俺は死ぬ為にビルの屋上に立ったこともある。

相手を助けることから逃げるためではなく、相手の荒れた心をなだめる為に相手の要望を飲もうとして夜のビルの屋上に立ったのだ。
結局は恐怖で飛べなかったが、

「必ず助ける」

その言葉を守る為に全財産と自分の時間、全てを使って約束を守ろうとしたが、守れなかった。

自分自身が力尽きたのだ。

約束を守ろうとする気力も体力も、お金も全て無くなったからだ。

だから「あなたの味方で必ず助ける」は俺は守れなかった。

だから思うのです。

 

人への優しさには責任が伴う。

自分の出来る範囲の優しさを約束しましょう。