無知という事

 

人はいつか死ぬ。

 

これは紛れもない事実で、今までの長い人類の時間において「あっ!死ぬの忘れてた!」とか 「気づいたら、もう1万年以上生きてましたわ」とかそんな人間は今までいないのだ。

死ぬということは当たり前の事実であり、逃れる事の出来ない現実なのだ。

そう思ってても、ほとんどの人が死を意識しないで日々を過ごしてるだろう。そりゃそうだ、死ぬ事を常に意識しながら毎日過ごしてたら、ほとんどの事は楽しめないだろうから。

俺の両親もいつか必ず死ぬ。

そして現時点での俺は、多分泣くことはないだろう。困るな、唯一の話し相手がいなくなり、寂しいなと思うことはあるだろう。しかし涙は流さないはずだ。

もし、その時に俺が泣くならば、これは本当の悲しみの涙だと思う、こんな利己的な人間が泣くのならば本物の涙だ。

父親と母親はネットをしないから本当に何も知らない。家では3年ほど前に実家に戻った俺の為にネット回線を契約したが、両親はずっと携帯の電波の届かない山奥に住み、テレビのポツンと一軒家とNHKが大好きな本当に田舎の人間なのだ。

田舎の人間だからか本当に恥を嫌う。俺が母親から借りた新車を少しキズ付けてしまった時は「小さなキズだから直さなくていいんじゃない?」と言ったら、「近所の人に何か言われたら恥ずかしい」と言って、家から16キロ離れてる行きつけの車屋で10万円近くかけてキズを直してた。

我が家から半径1キロ以内に5人も人いない地域なのに近所の人って…

ある時、両親と病気明けの親戚へのお土産としてスーパーで刺し身とか肉を買って持って行った。その買い物の時に、値段が見えると相手に気を使わせるし、安い物とバレたら恥ずかしいからと値札の値段の部分を、一心不乱にマジックで黒く塗りつぶす二人の行動に遭遇した。

みんなに見られる可能性がある、大型スーパーの袋詰めの場所でだ。

近所の人や親戚に対して羞恥心のある人間が、家から28キロ離れてる大型スーパーで、近所の人間より確実に人数が多い人間の前で恥ずかしい事してる。一緒にいる俺も恥ずかしい思いしてる…

こんな、矛盾パワフル両親だ。

母親は毎日朝の5時に起きて、家の中を掃除してる。
父親は右腕が麻痺して、歩くのもままならないのに未だに畑や田んぼに出て仕事してる。

父親の右腕が少し痺れる程度の初期の時に、父親は痺れは肩コリが原因だと思い、肩や首を母親の足で強く踏ませて揉みほぐし、強引に肩コリを治そうとしてたようだ。

いよいよ右腕が痺れて動かなくなって、手術となった時に、医者がメスを入れて分かった事、なんと首の後ろの頚椎の骨が粉々になって神経をさらに傷付けていたのだ!

そう、母親が全体重を肩に乗せて足で踏みつけさせた行為により、さらに麻痺を悪化させてたのだ。

なんという愚行、なんと無知なんだ…

ネットで調べて早くに病院に行ってれば右腕の麻痺は回避出来てたかも知れない。

俺が一緒にいた時ならば、ちゃんと調べて早く病院行くように勧めたが、俺が実家に戻った時にはもう父親の右腕の麻痺は悪化して箸もまともに使えなくなってた。

後で俺は、母親が肩に乗った事で頚椎が粉々になった可能性が高いと伝えはしたが、父親は何も反省してないし後悔もしてないようだった。

無知がゆえの当たり前の行動であり、父親の人生での当たり前の運命だと思ってるようだった。

そして未だに、たまにパチンコ屋に行き、お金を稼ぐ事に貪欲だ、まさに強欲なり。

そして「老後の為に銭を稼がにゃ!」と言うし、俺が「右腕が動かなくなった時は、もうダメだと思った?」と聞くと「まだやれる、これからや!」と言うほどのダイヤモンドメンタルだ。

最近、両親に「二人は勝ち組や」とよく言う。

もう60年以上も生きて年金も満額貰えて、持ち家もあり、畑も田んぼもある、近所付き合いのストレスだって、半径1キロ以内に5人もいない近所付き合いなんて、都会の人間関係に比べたら琵琶湖のさざ波程度のストレスだろう。

本当に人間関係のストレスは人の命を奪いかねないから。

だから、あなた達は勝ち組だと人生逃げ切ったと言うようになった。

最近、YouTubeで赤ちゃんの動画をよく見るんだけど人に好かれるには「こんな態度取ればいいよ」という答えが満載だ。
 
相手の目を真っ直ぐ見て、ニコッと微笑んで話しかければ、ほとんどの人は嫌な気持ちにはならないだろう。

しかし、これが大人になるにつれ、素直に出来なくなる。いろいろな感情に目覚め、無知でなくなるからだと思う。

山奥から出て、朝に街を車で運転してると、通学してる小学生高学年ぐらいで、もう赤ちゃんの時の表情が出来なくなってるのでは?と感じる、年を取って知ってしまった事、知らなきゃ生きて行けない事を知ってしまったのかも…

無知という言葉は悪いイメージあるが、もしかして無知の方が人生生きやすいのかもし知れない。

 

そう考えると、ド田舎山奥で自分達の知識の中で懸命に働き生きて、自分達の思うプライドを守り、俺に恥をかかさないように必死に育ててくれた両親が死んだ時には、俺は本物の涙が出るような気がしてきた…