人に愛されるということ


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今週の一枚は稲の苗


今年はこれだけしか米は作らないらしい。


数年前はこれの2倍ぐらいは米を作ってたが、父親の体の調子も悪いから、今はもうこれで精一杯みたいだ。

土地はあるけど、米を作る人間がいない状態だ。俺が作れればいいけど、あいにく俺は1人なので両親がいなくなれば俺1人で米を作らなきゃならなくなる。さすがに1人では無理だから、米作りは両親がいなくなったら終わりだ。


それに 合理的に考えれば、自分たちが食べる分の米は店で買った方が安く食べれる。


そんなことは両親にも言ってる。苦労して米を作るより店で買った方が経費もかからないし、体にも負担がかからないよと。

しかし、そうすると田んぼが死んでしまうとのことだった。だから、米を作る。そして、都会に行ってる親戚に米を送るのだ。ずっとこれは続けてることだ。


自分たちは苦労してでも、人に送る分の米を作る。もちろん都会の親戚はただで米を送ってもらうわけだから、親戚としては得だ。感謝の電話と言葉を俺の両親は毎年もらってる。


母親の弟は名古屋の方で駐車場経営をしてて、もう何もせずに暮らしていけるらしい。その弟さんは毎年、俺の両親のためにいろいろな贈り物をしてくれる。


俺は誰にも感謝されないが、俺の両親はみんなに愛されて感謝をされてる。


人は生き方によって人に愛されるのだ。


俺は合理的に考え過ぎて、米なんて苦労して作らなくても店で買えばいいという考えを優先してしまうが、両親はそうじゃない。


自分たちが食べるためじゃなく、親戚に米を送るために米を作ってるのだ。


自分たちのためじゃなく、人に喜んでもらう為の作業を長年してるから、みんなにそれが伝わり、感謝され愛される。


俺の両親はそんな事をずっとして来たのだ。


俺は真っ先に自分のことばかりを考え、それが自分の利益になればいいけど、結局は自分が損して孤独になってる。


自分の事を最優先に考えることは、巡り巡って自分の損にしかならないのではないか?


みんなに愛されてる両親を見てると、そう思うしかない。


人に喜ばれる事を人の評価を気にせずに続けること。

 


人に愛されるとは、ものすごくシンプルな事かも知れない。

 

 

そんな事を思った今週の一枚です。