反抗期の頃の僕は母親に每日每日反抗し続けた。
今では美味しくてたまらない、玉子焼きや塩サバなどの料理を「いつも同じおかずばかりで美味しくない」
という文句を平気で口にしてた。
運動部を辞めてから部屋でゲームばかりをして、親戚が来ても部屋から出なくなった。夏休みも何もせずに部屋でゲームばかりしていた。
怖い父親には何も反抗しないのに、あまり怒らず優しい母親には平気で每日口ごたえして、反抗し続けた。
卑怯者の極み。
卑怯で可愛げもなく、なんの価値もない子供だ。自分でもそう思うんだから、母親だってそう思うことぐらいあるだろう、僕はそう思ってたのに…
僕はそう思ってたのに、工場で働いてた母親は夏休みに每日部屋に引きこもってる僕の為に、毎朝ご飯を準備して出かけて行ってた。
栄養があるように野菜も用意してあったが、僕は野菜が嫌いだから、わざと食べずに残してた。
それでも、毎朝同じようにご飯を準備して母親は出かけた。
夏休みが終わった時に、母親は僕が部屋から出ない事を高校の同級生の母親に相談してた事があった。
僕はそれを同級生から聞いてしまった。同級生から聞くなんて、こんな恥ずかしい事はない。
家に帰って猛烈に激怒して母親を問い詰めた。僕は自分の拳を壁に思いっ切り殴りつけて怒りを表した。拳から血が出るほどに。
でも、そんな事があった次の日も、また朝にご飯を用意して、母親は早くに家を出てるんだ。
なんでだ?
どう考えたって、こんな子供可愛くないだろ?
生んだことを後悔してるはずだ。
なのに、なぜだ?
そうやって、ずっと、ずっと、母親は僕に愛情を伝え続けた。
神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世は赤ちゃんに対して実験を行なった。生まれたばかりの50人の赤ちゃんを集めて隔離して、その世話をする修道士には顔にマスクを付けさせて顔の表情を見せず、最低限の世話だけして、赤ちゃんに話しかけたり目を合わせたりする事を禁じたのだ。
そうするとどうなったか…
実験の結果、赤ちゃんたちは1歳になる前に全員死亡した。
その後、アメリカの心理学者ルネ·スピッツも、戦争孤児になった赤ちゃん55人を集めて、一切のスキンシップを行わない実験をした。
結果はフリードリヒ2世と同じような結果で、赤ちゃんの55人の内27人が2年以内に死亡して、残りの17人が成人前に死亡、さらに残りの11人は生き続けたが、その多くは知的障害や情緒障害が見られた。
赤ちゃんが生きれる要素は全て備えてた。ミルクも与えて、オムツも替えて風呂にも入れてたのにだ。
ただ無かったのが、赤ちゃんに伝える愛情だ。
ちゃんと目に見える愛情が、子供には必要なのだ。
僕の母親が、愛情を伝えようと意識して、毎朝每日、僕に優しくしてたとは思えない。なぜならば、そんな気持ちでは続かないからだ。
溢れ出る自然な行動じゃないと、反抗期の僕に対してずっと優しくなんか出来ない。
それほど、僕は、憎たらしくて可愛げのない、無価値な子供だったのだ。
そう僕は感じてた、自分自身に。
しかし、母親には僕は可愛くて可愛くて仕方のない、やんちゃ坊主だったとしか今は思えない。
母親は意識してなかったとは思うが、僕がこんな気持ちになる事を信じて、每日、每日、僕に愛情を伝え続けたとしか思えない。
每日反抗してた時は母親の気持ちなんかまったく考えなかった。ただ自分の苛つく心ばかりを優先してた。両親の築いた家で、両親のお金で生きてるのに、生かしてもらってるのに、朝起きて、ご飯が用意してあるのが当たり前ではないのに、それに文句を付けて、ただただ、自分の気持ちだけを優先してた日々。
その時にはまったく分からなかったのに、今、思い出すと、每日每日愛情に包まれていた。
今は母親の愛情しか思い出せない。
かあちゃん、僕はやっと少しは良い子になれたかな?
伝え続けると、いつかは相手に愛情は伝わる。
今はそう思える。