天才の凄み


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YouTube見てたら「プロフェッショナル·仕事の仕事の流儀」に宮崎駿が出てたから、チラチラ見てたら、もう最後まで集中して見てしまった。

 

正直、ジブリ作品の熱烈なファンではないが、改めて調べてみたら、宮崎駿の長編アニメの作品は全て見ていた。

 

しかし、人物としての宮崎駿は「何回も引退宣言してる、おじさん」のイメージだった。

 

「アニメ制作が好きだから、しばらく休んだらまた制作するんだろうな」と思ってたら、何年かして復帰してたから「やはり、疲れが取れたらやるんだな」であった。

 

しかし、ドキュメンタリーを見たら、そんな考えは吹き飛んだ。天才の凄みに震えた。まったく楽しそうにアニメを作ってない。なんなら、苦痛そうにまで見える。

 

この姿を見たら、作品を作り終えたら引退したくなるばずだと、まったくアニメを作ったことのない俺が心中を思いやるほどの凄まじい姿だった。

 

さらに驚いたのは、ちょっとしたエンピツでの走り書きしたような絵でも、まるで完成してるかのようなデザイン。顔の形やら表情が、そのまま映画のスクリーンに出しても問題ないような絵の上手さなのだ。

 

これが天才、宮崎駿か。

 

この天才がこんなに苦悩しながら作品を作って世に出すわけだから、ヒットして当然だと思うしかない作業風景だった。

素人の俺には、どこがダメなのかさっぱり分からんが、人物の動き一つが宮崎駿のイメージと違うと延々とやり直すのだ。他人から見たら「これぐらいでいいだろう」じゃないのだ。

 

一つの妥協が、次も次もとなり、一つの妥協した仕事が作品全体の妥協に繋がるのだと思う。

 

一つの、最後まで妥協なく作った動きが、次も次もと妥協なき動きとなり、作品全体の完成度を押し上げる。

 

これが天才、宮崎駿だ。

 

宮崎駿は本当にタバコをよく吸う。この受動喫煙がうるさい時代に多数のスタッフがいる部屋でタバコを吸いまくるのだ、寝癖の付いた頭を掻きむしりながら。

 

成功者なのに、まったく贅沢をしてるように見えない。インスタントラーメンをよく食べるし、オシャレでもなく貴金属も付けてない。

そして、苦悩しながら作品を作ってる。何が楽しいのか見てるこちらには伝わらない。貧乏ゆすりしながら

 

「めんどくさい、本当にめんどくさい」と呟きながら絵コンテと言われるモノを黙々と描いてるのだ。

 

俺が好きというか、今でも印象に残ってる作品が「紅の豚」だ。

 

多分、一回しか見ていない。でも、豚なのにモテる主人公が強く印象に残ってる。今の外見至上主義の現代において、最高に痛快ではないか。キャッチコピーが、

 

「カッコイイとは、こういうことさ」

 

いいね、世の中見た目じゃないと知らしめたい言葉だ。

 

他は「カリオストロの城」でのルパンがクラリスを助ける為に城の上を飛び移るシーンも躍動感があって頭に強く残ってる。

天空の城ラピュタ」での、パズーがシータを助ける為に必死に走るシーンとか、宮崎駿がまさに拘ったキャラクターの動きが頭に残ってるということは、やはり拘りは間違いじゃなかったということなんだろうな。

 

明らかに成功者であり、日本だけじゃなくて世界での名声も轟いてるのに、未だにあんなに苦労してまで、アニメ制作を続ける宮崎駿の凄みに本当に驚いたドキュメンタリーだった。

 

俺はそれを見て、人生での本当の幸せは何なのかを考えさせられた。

 

良い家に住み、綺麗な衣服を身にまとい、容姿端麗なパートナーと共に、ストレス無く人生を終えるのが幸せなのか?

だが、ストレス無き優雅な生活には「飽き」という感情が常にまとわり付きそうだ。

 

天才、宮崎駿が何回も引退を繰り返しながら戻って来た心情もドキュメンタリーでは推測されてた。宮崎駿は何も創作しない生活が退屈なのだと。何かを作ってない生活だと飽きるのだ。

例え、創作する生活がめんどくさくて苦悩に満ちていても、何もせずにのんびり過ごす生活より、宮崎駿は幸せなのだと思った。

 

シンプルに考えると、人生の幸せは、

 

「寝食を忘れるほど夢中になれるモノがあること」

 

なのかも知れない。

 

師匠であり、友人でもある「火垂るの墓」を作った、高畑勲が亡くなり、子供のように泣いてた宮崎駿

 

高畑勲に怒られて育ち、みんなが100点と言って褒めてくれた「風の谷のナウシカ」を高畑勲は「30点だ」と褒めてくれなかったが、彼に認めてもらいたかったのもアニメを作り続ける原動力だったんだろうな。

 

高畑勲をパクさんと呼んで、亡くなった後に絵コンテが完全に止まるほどショックを受けてた宮崎駿

 

最新作で、パクさんを帝国の主として描いて、その人物が物語の中に出てくるのが怖くて、なかなか登場させられなくて制作が止まる宮崎駿

 

まるで幼い子供だ。

 

「パクさんにそっちはどうですか?と聞きたい」

 

そんな事を宮崎駿は呟いた。

 

無責任な観客は、無責任に新作を期待する。しかし、その無責任さが宮崎駿にとっての幸せな世界に彼を呼び戻す。

無責任な俺も他の観客と同じように、無責任に宮崎駿に新作に期待する。

 

 

今まで楽しませてもらった宮崎駿に、これからも幸せに生きてもらいたいから、また彼に無責任に期待をするのだ。