人は本当にみんな平等なのか?
もちろん答えは分かってる、平等ではない。
「みんな仲良く平等に」
こんな言葉は建前でしかない。世の中には圧倒的な不平等さしかない。
そもそも、この世に人として生まれる確率はGoogleで調べると、50兆から80兆分の1である。
そして、現在の世界の人口は80億人を突破してて、先進国に生まれる確率は約15%、そして世界の人口から考えて、日本人として生まれる確率は約1.5%だ。
こうやって、数字に表すと本当に日本人に生まれた時点でツイてる人生なのは間違いない。
世界のトップ8人の富豪の資産は世界の人口の36億人分に匹敵するらしい。
この格差たるや「人はみんな平等な命」という言葉がオレオレ詐欺の詐欺師の言葉なみに嘘くさい。
もちろん、このトップ8の人間が努力を重ねて来たのは間違いない。
だからと言って、他の貧困層の人達に、
「あなたたちは努力が足りない!」
などとは口が裂けても言えないし、言ってはいけない。
そもそも、成功するための努力さえ出来ない人もいるのだ。小さい時から勉強さえ出来ずに、親の手伝いをして家計を支えねばならない子供たちも数え切れないほどいる。
2017年の段階で世界の6〜14歳の1億2400万人の子供が学校に通えてないのだ。このうち、初等教育さえ受けれていない子供は約6100万人もいる。
これでは、文字の読み書きや計算すら出来ずに大人になってしまう。
これで、どうやって努力したらいいのだ?どうやって、成功するために挑戦したらいいのだ?
これでは子供たちは努力するためのスタートラインにすら立たせてもらえてない。
いや、そもそもスタートラインすら見えてない。
「あなたは努力が足りない」
この言葉は本当に残酷だ。
成功者が存在してるのは、もちろん努力出来るのに、手を抜いてサボってる人間が多数いるからなのは間違いない。
でも、努力したくても勉強すらさせてもらえない多数の人達がいるから、成功者という人達が存在してる側面もあるのだ。
俺は教育もちゃんと受けれたし、成功者になろうとする努力も出来たのに、まったくしなかった。
俺に対しては、
「お前は努力が足りない!」
との言葉を言われても仕方ない。
成功者を目指せる環境にあったからだ。
ならば、俺の両親はどうか?
俺の親にも「あなたたちは努力が足りない」とは言えない。
そもそも努力するための知識がないのだ。今はネットで調べれば、成功者になる為の知識はいくらでも調べられる。
しかし、俺の実家には携帯の電波が来てないのだ。俺が数年前に実家に戻って、実家はケーブルTVには入ってたから、そこから俺がネット回線の開設の手続きをして、ネットだけは出来る環境にはなった。
しかし、それでも親は何も知らない。テレビからの情報しか知らないのだ。
両親は、BSのドラマを楽しみに見てたが、それを見る為に仕事を途中で止めて、テレビの前にリアルタイムで陣取ってドラマを見てた。さらに再放送なのに、途中まで気づかずに見てる時もあった。
NetflixやAmazonプライムならば、途中で止めれるし、自分が見たい時に見れるのに…
言葉は悪いが、親の人生の時間は残り少ないのに、俺が実家に戻るまでは本当に無駄な時間の使い方をしてた。
今は仕事を途中で止めたりせずに、ネットで動画を楽しそう見てるから良かった。
スマホも持ってなくて、何かあった時の連絡用にと母親だけが、大事にガラケーを壁に吊るしてる。
もはや携帯電話ですらない。携帯なのに壁に固定して、固定電話となってる。電波が来てないから実家では繋がらない電話だが。
それを見て、父親は、
「オラも携帯ほしい!」
などと言ってた。電波来てないのに、さらに今頃ガラケーがほしいだと?
なんとも微笑ましい。
しかし、この両親の人生を成功者になるための「努力が足りない」と馬鹿になんか出来ない。情報を知れるのに知ろうしないのは罪深いとは思うが、知るための知識と環境がない人を決して責めることは出来ない。
父親と母親は自分たちの生きてる世界で精一杯生きて、そこの世界での出来る努力をして来たのだ。
みんなが成功者になんてなれない。
「あなたは努力が足りない」
この言葉は本当に相手を見て言わねばならないと思う。
毎日、一生懸命に子育てしてる主婦の人に言えるわけないし、言ってはいけない。
言える言葉があるとするならば、
「毎日ご苦労さま、君の存在が家庭を支えて平和にしてくれてるんだよ。無理だけはしないでね!」
これだ!ちゃんの相手の毎日を労って、さらに存在意義を認める。
人によって、頑張れる場所が違うわけだから、まずはそこを認識して、かける言葉を選ぶべきだ。
世の中は意味が無さそうな事でも、巡り巡って繋がって、結局は誰かの役に立ってることが絶対にあるはずだ。
だから、相手の立場に立って、相手を思いやる事が大事なんだと思う。
結論、
「世の中には貧富の差という圧倒的な格差はあるが、誰でも誰かの役に立っているという事実においては平等だ」