大事な人


f:id:aonisai12345:20240508162219j:image

昨日から母ちゃんの体の調子が悪い。


なんだか、体の右半分に違和感があるそうだ。血圧もかなり上がって薬も飲んだ。朝から近くの診療所に1人で行こうとしてたけど、父ちゃんが1人では運転が危ないから「ワシが連れて行く」と言って、母ちゃんを診療所まで連れて行った。

長年一緒にいるから、母ちゃんの今回の体の変化に何か感じてるのかも知れない。俺も母ちゃんの動きを見てみたら、なんだか動きがおかしい。それを見て最悪のもしかしたらを考える。


人間なんて、いつかこの世からいなくなる。


そんな事は分かってる。でも、母ちゃんは特別のように思ってる自分がいる。もしかしたら、母ちゃんはずっとこの世にいるんじゃないかと…


でも、そんな事はない。いつかいなくなる。しかし、まだそんな心の準備は僕たちには出来てない。母ちゃんがいなくなっても、誰も毎日は家の掃除しないだろうし、食事の準備も毎日なんて上手くなんて出来やしない。すぐに母ちゃんの偉大さと大事さに気付き、もっと普段から大事にしてあげてれば……すぐにそう思うはずだ。

診療所から帰って来た母ちゃんは何も問題がなかったとは言ってたが、歩き方がまだおかしい。顔つきもなんだか、ボーッとしてる感じだ。

そもそも、近くの診療所でMRI検査なんて出来ないだろうし、簡単な診断で問題ないと言われてる可能性が高い。後日、別の病院に行くみたいだが、その間に手遅れになる可能性もある。

僕は「働き過ぎなんだよ。これは神様から休めと言われてるんだよ。」


冗談っぽく、こんな事を言った。


もちろん、心の中ではかなり心配はしているが、いつか来る最後の時を実感しつつ言っている。そうだ、いつか来るのだ。母ちゃんも父ちゃんも二人共がいなくなる時が。

そして、母ちゃんがいる時に父ちゃんに何気なく聞いた。


「珍しいな。診療所まで母ちゃんを連れて行くなんて…」


すると、父ちゃんはハッキリとこう言った。


「大事な母ちゃんや。1人で運転させるわけにはいかんやろ」


俺は耳を疑った。初めて母ちゃんを気遣う言葉を父ちゃんの口から聞いた。今まで厳しい言葉ばかりを父ちゃんからは聞いていたからだ。

母ちゃんはきっと父ちゃんと結婚した事を後悔してるだろう。しかし田舎での離婚は恥でしかなく、仕方なく今まで一緒にいるんだろうなと思ってた母ちゃんが父ちゃんの言葉を聞いてニッコリと笑った。


何十年もの苦労が、もしかしたら父ちゃんの今の一言で報われたのではないかと思うほどの笑顔だった。


僕はしょっちゅう優しい言葉を吐く。それは決して嘘ではないけど、あまりにも簡単に相手を気遣ったり、褒めたり、せっかくの優しさが薄まってしまうほどのたくさんの優しい言葉だ。

麺に例えると、僕の優しい言葉なんて兵庫県たつ市の播州そうめんのような細い細い、たくさんある細くて軽い言葉だ。

しかし、今回の父ちゃんが母ちゃんを気遣う言葉は、九州にある太一商店の「どっかん無敵盛り」に入ってる極太麺のような太い太い言葉だ。しょっちゅう聞ける俺の重みのない優しい言葉より太さも重さも違うのだ。


俺はあまりにもビックリして聞き間違いかと思って聞き直したぐらいだった。


普段から優しい言葉など言わない父ちゃんが、


「大事な母ちゃんや」


と言った。


それを聞いて、僕は幸せとは何かと考えた。


きっと幸せとは、幸せに包まれてる本人はあまり分ってないものだと思う。なぜなら、1人の時は寂しいと思って誰かと一緒にいたいと考えるが、いざ、家族を作って子育てとか相手の家族などの親戚付き合いとか、いろいろな面倒な事に縛られて、自由だった1人の時を恋しがる。


しかし、いざ、一人になるとまた家族が恋しくなるのだ。


あんなに1人の時間がほしかったのに、いざ1人になると家族との時間が恋しくなる。


幸せとは手に入れると慣れて薄まってしまうものだけど、でも、やはり大事な人と一緒にいる時間こそが幸せなのだ。手に入れると幸せは慣れて見えなくなるけど、やはり1人より誰かと一緒にいる方がいい。


僕は人に毎日のように命令され、こき使われる人生を長年続けて来たが、その間は自由になることばかりを考えていた。

1人になれば、好きな時間に休めて、好きな時にいろんな場所に行けて、今よりずっと幸せになれるはずだと思っていた。


しかし、いざ自分が用無しとなり解放された後に残ったのは虚しさばかりの自由だった。


人に頼られ、必要とされてこその人生だと思う。


母ちゃんがいるのが当たり前だと思ってた人生だった。母ちゃんが動き回って働いてるのが普通の家庭だった。


しかし、その母ちゃんが今はテレビを見て、何も動かず、ずっと座っている。


休むことは良いことだけど、こんなにも動かない母ちゃんを見るのは初めてだ。


でも、いつか来るお別れの時までには覚悟はしとかないといけない。


幸せに包まれて、幸せに慣れてる状態を見直さないといけない。

 

幸せに慣れてる時こそ、大事な人をもっと大事にしなきゃいけない。

 

今日は父ちゃんの優しい言葉を聞いた初めての日となりました。