久しぶりに外の景色を撮ってみた。
この景色は俺の部屋の窓のすぐ裏の景色で川も流れている。窓から川までは2メートルも離れてないが、川から部屋までは3メートルぐらいは高さがあるから川が溢れても家まで水が来ることはほぼない。
この水は山からの湧き水で100年以上前から湧き出てる水だ。水温は年平均15℃以下で、とても入って泳げるような水温ではない。
俺は中学1年生の途中でサッカー部を辞めて、それからの夏休みは部活には行かず家に引きこもっていた。しかし、夏休みに日焼けしてないとカッコ悪いと思って、日焼けするのが目的で上半身裸となって金属バットで川の向こう側にある山に小石を打ち込んだりしてた。
山の前には小道があって、そこをいつも歩いてた近所のおばあちゃんがいた。
口が大きくて目も大きくて、いつもニコニコで歩いて畑に作業しに行ってた。
俺を見かけると、いつも柔らかな笑顔で、
「ジョージちゃん、今日も天気いいね」とか、
「ジョージちゃん、お菓子いらんか?」
などと、優しい言葉を言ってくれる、おばあちゃんだった。
ある夏の日、また金属バットで小石を山に打ち込んでた時に、俺はおばあちゃんが歩いて来てるのに気付かずに夢中で山の側面に小石を打ち込んでいた。
そして、歩いて来てた近所のおばあちゃんの近くに誤って小石が飛んで行ってしまった。
すると、あのいつも優しかった近所のおばあちゃんが、
「危ないやろがい!!!」
鬼の形相で俺を怒鳴りつけた。
俺はビビッたね、あのおばあちゃんの人生最大の怒りがこの怒りだったと確信したよ。
そして今は、その山の小道を人が歩くことは無くなった。
俺が就職して実家に戻らなくなった間に、そのおばあちゃんはいなくなった。あのにこやかな笑顔、そして俺の稲妻スイングによって放たれた小石に激怒した、おばあちゃんの中にあった心はどこに行ったんだろう?
あのおばあちゃんの心と俺の心は間違いなく、あの時に交流していた。なのに、今はそのおばあちゃんの心はどこにもいない。
一体、人の心はどこに行ってしまうのだろう。
この地球上に約175万種類もの生物がいるのに、人間という、たった1種類の生物だけが言葉を使い、道具を作り、そして社会を作り出し、宇宙にまで飛び出してる。
どう考えたって不自然だ。他の生物でも、人間みたいな種族があってもいいはずなのに、人間だけが文明を作り地球を牛耳ってる。
俺は無宗教だけど、神様を信じてるというか、いればいいな、いや、創造主としての神様がいた方が自然だなという、摩訶不思議な人間にとっての都合の良すぎる現実がこの世にはある。
あるYouTubeでの対談を見て知ったが、日本の分子生物学者であり医師、そして博士でもある、
「灘史上最高の天才」
「東大史上最高の天才」
と呼ばれる、岡田康志さんという人を知ってるだろうか?
灘中1年生の時にIQテストで162を記録、灘中2年生の時に東大模試で数学の成績優秀者に名を連ね、灘中3年生で、日本最難関と言われる東大「理科三類」の模試でA判定を取り、灘高2年生で東大模試全国1位、灘高3年生で全科目全国1位を達成するという超絶天才の人物である。
この天才が、生きてるということはどういうことか?という題材で対談してたんだが、
「なんで神様は人間という燃費の悪いものを作ったのか?」
と、神様というフレーズを何回か発してるのだ。
こんなに超絶な天才が研究に研究を重ねた上で「神様」の存在を感じてるという事実に俺は驚きワクワクした。
やはり、人間が人間として生まれ、生きている意味が何かあるのではないかと期待してしまう。
アリを馬鹿にするわけではないが、同じ生物として、あまりにもアリと人間は違い過ぎる。人間は神様に選ばれて、この地球上で生まれて来たと思いたい。
ならば、人間が生きる事にどんな意味があるのか?
罰当たりな考えで、俺が神様としたら、どんな思いで人間を作った?
人を騙したり、人を傷付け、そして戦争を起こし、罪のない可愛い子供たちを苦しめる世界を作ることを望んで人間を作るだろうか?
もしかしたら、今は人間を試してるだけかも知れない。
この世界をこのまま残すか、それとも人間だけを排除して、新たな人間に代わる生物を考えてる最中かも知れない。
地球上の約175万種類の生物の頂点に立つ人間の今の姿が、この美しい地球上で頂点に値する生物の姿なんだろうか?
1番力の強い生物が、1番正しく優しい生物じゃないといけないのではないだろうか?
神様は今はどんな思いなんだろう…
天気の良い今日という日に俺はこんな事を考えた。
この地域に人はどんどんいなくなってるけど、なぜか自然は昔より綺麗で逞しく育ってる。
この現実こそが、この地球上に人間が必要かどうかの答えなんだと思う。
しかし、利己的な俺はこの現実から目を逸らし、明日も自堕落に生きるのである…