嘘だらけの愛情


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かなり昔に、人は1日に200回は嘘をつくと何かで見た記憶はあるが、先ほどGoogleで調べたら、アメリカの2022年の調査では、人は1日平均4回は嘘をつくらしい。

 

俺は今は家族以外とは話してないから、まったく嘘をつかない生活をしているが、普通の社会人は1日に4回どころかもっと嘘をついてると思われる。

 

普通に考えたら分かるよな、嫌いな人に「あなたは嫌い」とは言えないし、体系が、ふくよかな人からまったく痩せて見ないのに「最近痩せたんだよね」なんて言われたら、

 

「どこがだよ!家の鏡歪んでんのか?」

 

などとは、とても言えない。

 

きっと普通の社会人なら、

 

「やっぱりそうかぁ〜最近◯◯さんの顎がホッソリしてると思ってたんだよね〜」

 

などど、優しい言葉を言ってしまうだろう。しかし、これも、れっきとした嘘だ。

 

嫌いな上司にも笑顔で挨拶するだろうし、行きたくない飲み会も、付き合いで楽しそうに参加するはずだ。

 

このような態度も厳密に言うと嘘だと言える。

 

だから、普通の社会人の生活はキツイ言葉で書くなら、嘘だらけの生活だとも言える。

 

俺は正直に記事を書いてると何回も言ってるが、動物の心情を妄想で書いたり、その当時の相手の気持ちも想像して書いてる。

 

俺の文章を当事者が見たら「なんだこの嘘だらけの記事は?」と思われるかも知れない。

 

俺が書いてる事は、自分が見たまま、思ったままを書いてはいるが、それはあくまで俺側の視点の話でしかない。

 

嘘をつかずに生きるとは本当に難しいな。

 

人を傷つけないような言葉を言うことも、厳密に言うと嘘だからだ。

 

こう考えると、この世の中は嘘だらけなのかも知れない。

 

俺が嘘をつかずに自分に正直でいたいと強く思っているのは、それは、自分が嘘をつかれず、人に裏切られたくないと思ってるからだ。

 

自分が人に騙されない人間になるには、まずは自分が嘘をつかない、人を騙さない人間にならないといけないと思う。

 

言葉を選ばずに言うなら、自分可愛さの利己的な思いの先にある正直さを目指してるわけだ。

 

しかし、人に正直に接して人に優しくしようとしたら、どうしても人を傷つけないように言葉を選んで結果的に嘘をついてしまうという矛盾にぶち当たる。

 

誰にでも優しい人間は、誰よりも嘘つきになってしまう可能性が高いと思う。

 

もちろん、問答無用の悪い嘘がある。

 

俺は大谷選手が好きだから、通訳の人に裏切られた可能性のある、今の大谷選手を見るのは本当に辛い。

 

さぞかし人間不信になってるだろうなと思ったが、20代前半のインタビューで気になる事を言ってたのを思い出した。

 

「周りに変わってしまう人もいました」

 

確か、こんな風な事を言っていた。決して悪口ではないし、その時はちょっと寂しい言葉だなと思ったが、そのインタビューの時に言ったかは覚えてないが、大谷選手はこう質問された。

 

「生きる上で大切にしてることは?」

 

そして、大谷翔平は人間として、こう答えた。

 

「自分を知らない人にとっても信頼に足る人間であること」

 

「当然、野球をもっと上手くなりたいというのはありますが、その前に1人の人間として、社会に対して信頼に足る人間でありたい。僕は本当に野球しかやって来なかったので、他の要素が抜けてたり、何か欠陥があったりというところが多々あるはずです。何も野球が出来るかどうかは、その人が信頼出来るかどうかというこうことには関係がないですよね。僕は野球を通じて、そこを高めていくことが一番だなと考えています」

 

今思うと、大谷選手は以前にも人に裏切られた経験があるのではないか?

 

だから、自分を知らない人にも信頼に足る人間になりたいと思ったのではないかと、俺は思ってしまうのだ。

 

愛する人と結婚するのは、その時の相手の外見と内面に魅力を感じているからだと思う。しかし、長い人生、何があるか分からない。不運な怪我で容姿が変わってしまうかも知れない。病気になって、寝たきりになってしまうかも知れない。何より、年老いて結婚した時の姿はすっかりなくなり、結婚した時の外見的な魅力は間違いなく消え失せる。

 

そこで、正直に言えるのか?

 

「結婚した時の外見的な魅力を、あなたから感じなくなってしまった」

 

言えるわけがないし、内面を愛してるからこそ、愛してる人を傷つけないために、こんな言葉は決して言わないだろう。

 

しかし、外見的な魅力を感じなくなるのは仕方ない。誰だって年老いて見た目は変わってしまうのだから。

 

もし、愛してる人が末期ガンになってしまったら?

 

「あなたは桜を見るのを楽しみにしてるけど、そこまで生きれる可能性は低いよ。ステージ4の末期ガンでもう治療法はほとんどないんだ」

 

嘘をつかないのが全て正義なら、愛する人にこう言えるのか?

 

桜を一緒に見るのを目標に毎日必死に痛みに耐えて、あなたと少しでも一緒に長く生きようとしてる、愛してる人の希望を奪う正直さを貫くのか?

 

 

「桜はきっと見れるよ。あなたと出会ってから、今までずっと変わらず愛してる。だから、一緒に桜を見ようね」

 

 

俺は人に嘘をつかず、いつも正直に生きたいと願ってきたけど、愛する人が希望を持って生きれるなら、嘘つきになる方を選ぶ。