自己保身を考える

俺は臆病だ。

 

それは喧嘩が出来ないとか、物理的な意味での臆病ではなく、すぐに自分の心を守る意味での臆病という事だ。心は小鹿のようにプルプルと震えて怯えて、心やさしいとは思うのだが、外見的にはクールで無愛想な人間だ。

こんな自己保身の戸惑いや無愛想な所が人との繋がりを断ってるのだ。しかし、こんな人間でも過去には友達と言える人はいた。もちろん子供の頃だ。

もう過去に関わりのあった人間の顔や名前はほとんど忘れかけてるが、ハッキリと覚えてる事はほとんどが嫌な事。もちろん、最初の嫌な事から派生した被害妄想も多数あったと思う。そう、自分が傷つきたくないという自己保身からの被害妄想だ。

ここでも出た!自己保身!

Googleで調べると自己保身とは自分の地位や名誉、経済的な利権を守ることとある。こんな人間に地位も名誉も経済的な利権もないので、俺の自己保身とはただの傷つきたくないという幼い自己保身なのだ。

自分の家の半径3キロ以内に、まだ50人ほどの住民が居た子供の頃、覚えてる胸が痛かった事とは…

携帯ゲーム機を持ってなかった俺は近所の友達の所に毎日のように遊びに行っていた。何も考えてなかった。ただゲームが楽しくて、ただゲームが遊びたいだけだった。

いつものように「て〜るくん、あ〜そ~ぽ」
そう友達の家の外から呼びかけた、そういつものように。

しかし、中から聞こえて来たのは
「また、来た…」

てるくんの声じゃない、てるくんの母親の声だ。「あっ来た!」という待ちわびた「あっ!」ではない、「また…」という明らかに待ちわびて、ではない「また、来た…」だ。

その時の空っぽ木魚頭の俺でもすぐに分かった、毎日遊びに行く事は迷惑になってたのだ。今なら当たり前に分かる、人様の家に毎日行く事は迷惑になるんじゃないか?という人との当たり前な距離感。

その距離感が、その時の頭の中がカニ味噌状態の俺は分かってなかったのだ、そしていきなり交通事故のように突き付けられた当たり前の現実。

気づいたら、俺は泣きながら走って家に帰ってた。

それから、二度と、てるくんの家に遊びに行けなくなった。

その後の人生は、自分の全てが相手の迷惑になるんじゃないかと真っ先に考えるようになってしまった。

これが、我が人生の歴史における「てるくん事変」である。

なんとちっぽけな我が人生の歴史…

 

小さく守る価値もない自己保身こそが全ての孤独の原因であり、そして人生の大半の時間を自己保身に費やしてる哀れな現実なのだ。