安全圏から平和を語る

世界で毎日生きるか死ぬかの日々を過ごしてる人がいるのに、俺は雨風凌げる家で毎日のようにネットに綺麗事を書いてる。

胸がいたい、子供たちに優しさを伝えたい、安全圏の家から「わたしはこんなに良いこと書いてる!世界平和を祈ってる!」

自分の胸をえぐるように自分を分析して書き綴ると俺はまさに「偽善者」
結局は自分の安全は確保した上での意見なのだ。

そんな平和ボケした人間の言葉など、目の前で家族を殺されそうになってる人には何も響かないし、なんの役にも立たない。

それなのに「自分の力なんてなんの役にも立たない」と至極当然の言い訳を書いてる。

実際には何も動かずに「自分の力なんて…」と勝手に言い訳を用意して、またしても安全圏から平和を語ってる。

日本という国に甘えてるのだ。

なんと卑怯な男だ。男の風上にも置けない。書いててスマホの指が止まる。自分自身に突き付ける痛烈な批判に。

自分自身の痛烈批判に「そんなに言わないでよ…」と涙目で言いそうになる。

みんな同じだろ?みんなが正論言って綺麗事言いつつ何も動かない人間ばかりだろ?

そんな言葉が出そうになってハッとする。

そんな人間ばかりじゃないから、日本はこんなに平和なのだ。誰かが自分を犠牲にして動いて戦って、こんな便利で平和な国を作ってくれたのだ。

その人たちがいたから、俺は安全圏で平和を語れてるのだ。

もはや日本を平和に導いてくれた先人には
「ありがとうございます」としか言えない。

俺はなんの力もなくて、何も動こうともしなくて、情けなくて、弱くて、自己愛が強くて、それでも、そんなに情けない人間でも、

 

 

やはり今の世界で命をかけて戦って、苦しんでる子供達が、この先、俺のように安全圏から平和を語れる甘えた環境が当たり前の平和な世界を、当たり前のように味わってほしいと願うのです。