死んだら何も持って行けない。
家やお金などの財産、死んだら何一つ持って行けないのだ。
では、生きて来た事さえ意味はないのか?
いや、生きて来た足跡やその人の人間性、人にして来た事は誰かの心に残るだろう。人は精一杯生きて来た誇りある人生の足跡を置き土産として死んで行くのだ。
お金を稼ぐのだって、自分だけが良い思いしたって意味がない。好きな人や一緒にいる人を幸せにしてこそのお金だ。
お金をたくさん稼げなくても、コツコツと頑張る過程こそに意味がある。
よく聞く言葉で、
「成功するには挑戦し続けることだ」
こんな言葉をよく聞く。しかし、全ての人がビル・ゲイツや孫正義を目指したら、社会は回っていかないのだ。
目の前の家族を養う為に、自分の夢を諦め每日コツコツと頑張ってるサラリーマンの人がいるからこその社会だ。子供を生んで自分の時間や自分のオシャレや交友関係、全てを後回しにして子供を育てる女性がいる社会だからこそ、成功者が出現するのだ。
成功者を目指すだけが人生ではない。
自分の夢を諦めてでも、家族の為にコツコツ頑張ってる人の生き方は意味がある人生だと思う。
誇りある意味のある人生だ。
そんな人達が大多数だからこそ、日本の社会は成り立ってる。
俺も全てを無くしてしまったが、自分の欲深さでお金が無くなったわけでもないし、人を助けようと思っての結果だから、何も恥ずべき事ではない。
とは思ってるが、世間では馬鹿だなと思われるとは思う。
もし、その時に借金で苦しんでる人を見捨ててたとしたら、多分、今頃資産は数千万円はあっただろう。
しかし、今のような穏やかな心を持ててたかは自信はない。
今は、本当に人が喜ぶ事をしたいと思って生きてる。お金持ってても、心が貧しかったら、なんの意味がないの理解してしまった。
心が豊かで、人を思いやる心がないとお金があっても意味がない。人のために使ってこそのお金だと思うからだ。
だから、お金が無くなったしても、残っててほしいものは、人を大事に出来る心と誇りある人生の足跡だ。
死んだら、お金も財産も持っては行けないが、人の為に生きた足跡は誰かの記憶には残る。
人生が終わった後は、それでいいと思う。
日本の平和の為に犠牲になった方々はもちろん称えて公式な記録に残すべきだが、名も無き多数の周りの人や家族の為に生きた人達の人生の足跡も忘れずにいたいと思う。
そして、俺も誇りある人生の足跡が残るように、これから努力して行きたい。