見た目の美しさに心は彷徨う


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自分の過去もほとんど書き尽くし、時事ネタも少しづつ書き始めたが、結局はほとんどが似たような思考を書き続けてるのが原状だ。

 

今更ながら、文章を書き続けるって本当に大変。

 

一応、毎日、1500文字から2000文字ぐらいの文章を書くのを目標にしてるが、知識も教養も無いので、毎日本当に必死に捻り出して書いてる。

 

文章でこれだから、週刊誌の漫画家さんは本当に大変な日々なんだろうなと思う。

その人達と俺を比べること自体がおこがましいが、俺のような薄っぺらい人生と人脈という言葉すら、まったく使ったこともない人間が日々の出来事を書くとなると、早い段階でネタが尽きるのは分かり切ったことだった。

 

ならば、小説みたいなことを書こうかと思ったが、実は小説はまったく読んだことがないから書き方が分からない。

 

昔「アルジャーノンに花束を」という小説を読もうと挑戦したが、どうしても最後まで読めずに断念した。だからと言って文章を読むのが嫌いなわけではない。Yahooニュースは黙々と集中して読めるし、そもそも毎日の情報は映像ではなく、スマホで文章から知識を得てるのだから。

なぜ、小説を読めないか?と考えてみたら、フィクションだからであるという結論に行きついた。

日々のニュースや情報は、ほぼノンフィクションだから興味を持って読めるのだと思う。しかし、映像になるとフィクションの映像でも、何も問題なく最後まで見れるから自分でもなんとも不思議だ。

 

アルジャーノンに花束を」を途中まで読んでて覚えてるのは、知的障害のあった主人公が知能が上がる手術を受けたことにより、周りから優しくされてたと思ってたのが実はイジメられてたと知るシーンである。

知らなければ分からなかったことが、知能が上がることで真実を知ってしまった悲劇。ここだけを強く覚えてる。

俺自身、人が離れて行くこと見た目や身分や肩書き、それによって人の態度が変わることにすごく敏感な人間だ。

 

なぜ敏感になるかというと「ずっと離れない」「一生愛してる」と言ってた人間が、あっという間に人から離れて行く様を見た事があるし、俺から離れて行った人間も実際にいたからだ。

 

だから、一生変わらないモノとはなんだろうと日々考える。

 

いつか無くなる見た目の可愛さや、容姿のカッコ良さに一体なんの意味があるのか?

 

そんな事を考えるのだが、俺自身も、やはり異性に惹かれるのは最初は見た目からになってしまうのが、なんとも情けない。

 

それと、付き合うまでは一生懸命に気を引き、相手の気持ちを理解しようと頑張ったのに付き合って一緒にいるようになったら、一緒にいる事に慣れてしまい、その結果、相手の気持ちを雑に扱ってしまったことがある。さらに相手の気持ちが完全に俺から離れるまで、まったく気付かない事もあった。

そうなってから、必死に謝り関係を修復しようと頑張ったが、もう後の祭り。

 

その人には、

 

「もう、あなたはいらない」

 

そう言われて終わった別れもあった。

 

その後は反省して、付き合った当初の気持ちを常に忘れないようにしよう!そんな気持ちで、相手の要望を全部受け止めようと接してたら、その人からとんでもない扱いを受けて、俺自身が潰れてしまった。

俺という人間は本当にほどよい加減が分からない人間だ…

 

だからこそ、見た目の美しさだけだと中身が分からず翻弄されるから本当に大事にすべきもの、時間と共に変わらぬ中身の美しさ、それは何か?と考えてしまうのだ。

しかし、こんなに見た目に惹かれて痛い目を見てるのに、今だに見た目の美しさに惹かれて心は彷徨い、人生は迷い子のままだ。

 

人の見た目について、考えさせられる「エレファントマン」という古い映画がある。

記憶では一回だけ見たことがある。かなり古い映画だし白黒だったと思う。なぜこの映画を知ったのか?なぜ見ようと思ったのかは、あまり覚えてないが、容姿のコンプレックスが当然ある俺からしたら、醜い見た目の実在した人を題材にした映画だと知って10年以上前に見たような気がする。

詳しく調べてみたら、デヴィッド・リンチ監督で、アンソニー・ホプキンスも出演してて、1980年のアカデミー賞と主演男優賞、監督賞、脚本賞も取ってる、すごい作品だった。

 

それなのに、ほとんど内容は覚えてないが「アルジャーノンに花束を」と同様に強烈に覚えてるシーンがある。

それは、見た目の変形した奇怪な容姿から見世物小屋でも知能もないだろうと、まるで動物のように酷い扱いを受けていた主人公のメリックを見つけた外科医のトリーブスが研究のためにメリックを病院へと引き取り、そこでトリーブスが教えてない聖書の内容をメリックが唱えてる姿を見てしまう。

そこでトリーブスは初めて、メリックには普通の知能があるのを知る。そしてこの容姿のまま想像を絶する過酷な人生を誠実に生きて来た事を思いやり、激しく嗚咽して自分の偽善を恥じるシーンだ。

 

このシーンを激しく覚えてる。そして、それを思い出しながら書いてると俺も涙が溢れそうになる。

 

俺にも身に覚えがある感情だ。身体の不自由な人を見ると、目に見える形で優しくしようとする、自分の偽善を思い出す。

 

「悪意の無い残酷さ、好奇心という非情」

 

エレファントマンを紹介してる文章には、こんな言葉が綴られてる。

 

美しい女性には、いろいろな男が寄って来ると思う。そして、その多数の男性が見せる姿が本当の姿じゃない可能性が極めて高い。なぜならば自分に好意を持ってほしいから、自分の良い部分、綺麗な部分だけを最初に見せようとするからだ。

その中から、本当に自分をいつまでも大事にしてくれる男性を見抜かねばならない。

 

これは、本当に大変だと思う。

 

美し過ぎるのも、本当に大変だ。

 

俺がもし、美しい女性ならば、簡単に悪い男に引っかかる自信がある。

俺がジョー子として女性に生まれたならデキちゃった婚で早くに結婚して、最初は優しかった旦那さんは段々と優しくなくなり、次第に女の影が頻繁にチラつくようになる。

最初は問い詰めようとするが、男からはその度に今まで見たことがなかった凶暴な顔が現れて、ついにDVを受けるまでになる。

ここで、ジョー子は離婚しようとは思わず「私がもっとこの人を大事にして愛すれば、きっとこの人は変わってくれる!」そんな思いと共に、黙って尽くして、尽くしまくる。

だが、結局は「コイツは俺に惚れてるから、遊びまくっても大丈夫だな」そんな自惚れを増長させて、ついにジョー子は我慢の限界に達して、着の身着のままで、ボブとキャロラインの二人の子供を連れて、家を飛び出す……

 

見える、ここまでの未来が見える。

 

このように本当の姿を見破るのは、かなり難しい。

 

 

俺もまだまだ、見た目の美しさに翻弄されそうだ…