体は不自由でも心は自由


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この前、ばぁちゃんの事を書いたが、じぃちゃんの事はほとんど書いてなかったが、じぃちゃんは障害者だった。

 

他の人のことは体の不自由な人と表現するようにしてるが、じぃちゃんは身内だから、ストレートに障害者と書く。

 

どこが障害があったかというと、右足の指が小指が一本あるだけで、他の指がなく、足首から下の足全体が丸まった状態の足を引きづって歩くしかない状態だった。

 

生まれつきではないとは聞いたが、どうしてそうなったかは聞いたはずだが、詳しくは覚えてない。

 

子供の時になんの悪意も無く、じぃちゃんの足をジロジロ見たり、触らしてもらったり、今考えると無神経な事をしていたと反省してる。

 

この足のせいで、じぃちゃんはかなり屈辱的な思いをしてたと思う。昔は、男がこんな状態だとまともな男扱いもされず、日陰の人生になってしまうのだ。

 


戦えない男は男にあらずの時代だった。

 


昔は当然のように隠して、国からお金を貰うなんて恥と考える人が多かったようだ。

 

実際に、俺の父親は頸椎損傷で、右手が麻痺して歩くのがやっとの状態だ。だから俺は、

 

「こんな状態ならば、障害を届け出た方が得になりそうだから届け出たらいいのに」

 

そう言ったら、

 

「近所の目があるから、恥ずかしいからいらない」

 

そう言って、拒否するのだ。

 

半径1キロ以内に10人もいないのに、近所って…

 

それに「わたしは、障害者年金を貰ってます」という看板を背負って歩くわけではないから、他人に知られるわけはない。なのに、恥ずかしいという思いを抱くのだ。

 

五体満足とは本当に奇跡的であり、ありがたい事だ。そう考えると、両手両足に障害のある有名な人はあの体で結婚して、不倫までしていた。不倫が悪いのは間違いないが、行動力は本当に凄い!

 

俺が今、あの人のように両手足が不自由になったとしたら、本当に人と接する事も出来ず、人の目から逃れる人生だったと思う。とても人前には出れる勇気がない。

 

でも、健康の一部分が欠けるという事は、決して人間としてダメなわけではなくて、それによって心が弱くなってしまうという事が一番の不健康かも知れない。

 

父親は途中から、体が動かなくなってしまったから、さぞかし落ち込んで生きる気力も少なくなってると思って、

 

「体が思うように動かなくなって、もうダメだと思った?」

 

と聞いてみたら、

 

「まだまだこれからや!」

 

そう言って笑ってた。本当にハートが強い。

 

俺ならば、体の一部分でも機能が衰えたり、使えなくなったりしたら、本当に落ち込んで、もういいやと人生を諦める選択をしてしまうかも知れない。

 

それほど、五体満足だという事が俺の人生の中で当たり前で、もし、この健康が無くなったら、俺は精神的にダメになってしまう可能性がある。大きな怪我もした事ないし、もちろん入院もした事ない。ここ何年かはコロナどころか、風邪にもなったことはない。

 

じぃちゃんは障害者で人生を全うし、父親も残りの人生は障害者となってしまった。

 

でも、じぃちゃんはしっかりと父親を育て、そして父親は障害者となった今でも、俺にとっては圧倒的に頼りになる強者だ。体に不自由があっても、心は健康なままだ。

 


俺もそんな強い心で、この先の人生を歩みたい。

 

 

父親は体が不自由になっても、心は強く、人間としては自由だ。

 

 

 


父親が足を引きずりながら歩く後ろ姿を、俺がいつも尊敬の眼差しで見てるのは、父親には秘密だ。