弱いから優しい

 


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昔から人に、あなたは優しいとよく言われた。

 

自分でも、そう思う。人に優しくしないと自分なんて価値がないと思うから人にはなるべく優しくしてきた。

それは自分も優しくされたいという、媚びた優しさでもあった。

 

こんな利己的な優しさは本当の優しさではない。

 

動画で子犬や子猫を見てると、たまらなく可愛い。道端で、雨に濡れて寒さに震えてる姿を見たら早く濡れた体を温めてあげて、お腹いっぱい食べ物を食べさせたいという気持ちしかない。

そこには、自分が優しくされたいから優しくするという利己的な優しさはもちろんない。ただなんとか助けたいというだけの優しさ。

 

この、損得無しの気持ちが本物の優しさだと思う。

 

この気持ちを人にも出せたらいいとは思うけど、人に対しては、どうしても損得を考えてしまう自分がいる。

自分が弱くて何も強いモノがないから、まずは人に優しくして、その見返りで何かを与えてもらおうとする卑屈で媚びた優しさだ。

 

自分が弱いから人に優しくするのだ。

 

しかし、こんなに人見知りなのに体の不自由な人を見かけたら、途端に見える形で優しくしようとする気持ちが芽生える。自分の方が強いと錯覚してるからだ。言葉は悪いが相手を下に見てるのだ。

自分が強者と錯覚しての優しさである。偉そうな優しさだ。

 

媚びた優しさと偉そうな優しさ。

 

どちらも本物の優しさじゃない。

 

 

死んだ、ばぁちゃんは俺にとことん優しかった。一番近くにいる孫だったのもあったし、俺がとにかくばぁちゃんに一番懐いてたからだと思う。

 

生まれた時にいた家は、地域で一番の山奥の家だった。俺の家より先には誰も住んでない場所。俺が小学校の6年生ぐらいで、1キロぐらい下の土地に新しい家を建てて、そこに引っ越した。

 

その時はまだ、ばぁちゃんたちの家は下の土地の中に建ててなかったから、ばぁちゃんたちは昔の一番山奥の家に住んだまま俺は下の土地に引っ越した。

 

それなのに俺は週末になると、わざわざ一番山奥の昔の家に泊まりに行ってた。

 

ばぁちゃんに会うためだ。ばぁちゃんの作ってくれる焼き飯が大好きだった。焦げたハムエッグも。

 

ばぁちゃんは俺の為にずっとご飯を作ってくれた。

 

ばぁちゃんから怒られた記憶は一切ない。ずっと、果てしなく俺に優しかった。

 

ばぁちゃんの優しさは俺に見返りを求めた優しさじゃなかったのは確かだ。本当に暖かく母なる大地のような大きな優しさだった。

 

しばらくして、下の土地にもばぁちゃんたちの家が建って、ばぁちゃんたちも下の土地に引越して来た。

 

しかし、しばらくすると、じぃちゃんが亡くなってしまった。

 

すると、あんなに元気だった、ばぁちゃんは急に体が弱くなり寝たきりとなってしまった。じぃちゃんとは喧嘩ばかりしてたのに本当はかけがえのない存在だったんだと思う。

 

寝たきりの、ばぁちゃんを母ちゃんが必死に介護した。ばぁちゃんには息子2人と娘が4人いたが、俺の父ちゃん以外はみんな都会に出てたから、介護するのは俺の母ちゃんしかいなかったからだ。

 

ばぁちゃんは亡くなる直前に子供の時の幻を見るようになってたと、母ちゃんが言ってた。

 

そして、じぃちゃんが亡くなって、1年ほどで、ばぁちゃんも後を追うように亡くなってしまった。

 

じぃちゃんの葬式はまったく覚えてないが、ばぁちゃんの葬式の一部分をハッキリと覚えてる。

 

俺はあんなに、ばぁちゃんに優しく大事にされたのに、まったく涙も出ず悲しくもなかった。

 

しかし、母ちゃんは実の娘4人よりも悲しんで泣き崩れていた。

 

実の親子でもないのに…

 

 

「お母さん!!」

 

 

そう言って棺桶にすがって号泣してる母ちゃんの姿が目に焼き付いてる。

 

ばぁちゃんが俺にくれた大らかな優しさ、実の娘ではない母ちゃんが、ばぁちゃんを大事に介護して最後を看取った末の優しい涙。

 

 

俺は弱くても、そして強くなったとしても、ばぁちゃんと母ちゃんのような本当の優しさを持てるように生きていきたい。