大事な人を繋ぎ止める


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文章を書き始めて思うことは、文章には書く人の心が透けて見えるということだ。

 

そして、言葉とは、

 

文字、語順、音、意味によって構成されていて、専門的には音、形式、意味の3つに区分されるそうだ。

 

その言葉を使って、人に思ってることを伝え、人との関係を構築する役割をするのが言葉だ。

 

もちろん態度だけで相手に伝わる事もあるが、やはりちゃんと文章や言葉にして伝えなきゃならない事はたくさんある。

 

多分、俺の文章には良くも悪くも俺の心が入ってるのは見てる人には伝わっていると思う。

 

正直に書いてるのも、もちろん理由としてあるが、俺は悲しい話を書いてる時は本当に涙ぐみながら書いてる時があるんだ。

 

情けない話だが、書いてると当時の事を思い出して、自然と涙がこぼれそうになる。俺が体験したこと、俺が当時思ってたことをこのまま心に秘めたまま、誰にも知られず俺がこの世界から消えてしまったとしたら、俺の心が人に知られる事は無くなってしまう…

 

そう考えると自然と文章に気持ちが入ってしまうのだ。

 

俺は誰かに俺の心を知ってほしいから毎日のように文章を書いている。

 

人に知ってもらえるという事は本当に嬉しい。この思いは文章を書かねば分からなかったことだ。

 

そんな俺も、ある女性の心を知ろうとしなかった事があった。その人は本当に穏やかで何も文句を言わない優しい人だった。

 

その当時の俺は仕事に必死で、その人の気持ちを深く知ろうとはしなかった。

 

なぜなら、その人は何も不満を言わなかったからだ。だから俺は何も不満がないのだと思って、その人の心を注意深く知ろうとはしなかった。

 

その人のしてくれる事を当たり前と思い、その人の笑顔があるのが当然と思い、その人の優しさもいつもあって当然だと思っていた。

 

でも、その人は心の不満のガス抜きを上手にしない人で、自分の心が壊れるまで我慢に我慢を重ねている人だった。

 

そして、その人はある日突然、俺の前からいなくなった。

 

俺は、その人の心が壊れたことさえ気づいていなかった。

 

その人がいなくなって初めて、その事に気づいた。

 

その人は言葉じゃなく、態度で、さり気なくだが幾度となく俺に不満を示していたのだ。鈍感な俺はその人の言葉ばかりに注目してて、その人が何も言わないから何も不満がないと思い込んでるだけだった。

 

いつもあった笑顔も当たり前じゃなく、いつもあった優しさも、いつもあって当然の優しさではなかった。

 

大事な人が側にいてくれる事は当たり前じゃなく、大事な人の笑顔も優しさも当たり前じゃなく、大事な人がしてくれる事全てがあって当然の事ではない。

 

こんな簡単なことさえ、当時の俺は理解出来てなかったのだ。

 

でも、それに気づいた時には大事な人の心は俺の元にはなかったんだ。

 

壊れた大事な人の心は、もう元には戻らなかった。

 

今なら分かる。

 

大事な人の心を毎日気にかけて、当たり前じゃない事に毎日感謝して、大事な人にちゃんと毎日態度と言葉で感謝を伝える。

 

心で思ってるだけじゃ相手には伝わらない。

 

相手に伝わらなきゃ意味がない。

 

だから、俺はこれからも、毎日必要以上に説明臭いクドい文章を書き続ける。

 

 

俺の文章を見てくれる人が大事な人たちだからだ。