全力じゃなくていい


f:id:aonisai12345:20240419190008j:image

「あなたを全力で必ず助ける!」


この言葉を言える男はまさに「男の中の男!」誰の目から見ても「カッコイイ〜!」となるはずだ。

しかし、言うだけならば誰でも出来る。

ならば、相手をちゃんと救ったらそれでいいだろ?

いや、まだ違う。この言葉を言うならば困ってる相手を救うのが当たり前。しかし全力はいらない。

全力で相手を救ったが、自分の生活が苦しくなるなんて、ただの自己満足であり自己陶酔でしかない。

困ってる人を必ず助けると言ったなら、必ず助けるのはもちろんだが、絶対に自分の生活基盤が揺らぐほどの力を使ってはダメだ。そもそも、そんな力しかない人間が人を必ず助けるなんて言ってはいけない

人を必ず助けると言える人間は、その人を余裕を持って助けることが出来る人間だけが言える言葉なのだ。

俺は「必ず助ける!」と言ったのに、相手を必ず助けることも出来ず、さらに自分の生活基盤も壊れ、さらに相手の心まで悪い方へ変えてしまった。


力がない人間が全力で人を救おうとすると、相手にも迷惑になる。


弱って困ってるから、人の救いが必要なのだ。安易な人の優しい言葉に全力でしがみついて来るかも知れない。人の優しい言葉に救われ、そして、その言葉を生きる糧にしてしまうかも知れない。

そんな弱い優しい言葉を信じて、その結果、救ってもらえなかった時のダメージはかなり大きくなると思われる。逆に救ってもらったとして、その結果、救ってくれた人の生活が苦しくなったり、その人が潰れてしまったりしたら、救ってもらった人は責任を感じて、今までとは違う苦しみを背負うかも知れない。

だから、人を救うのは全力じゃなくていいし、自分が壊れるほどの全力であってはならない。

だからと言って、困ってる人を見捨てるのか?といったらそうじゃない。

自分の出来る範囲で、自分の生活の困らない範囲で助けたらいいのだ。能登半島地震での募金も小さな額でいいのだ。自分の生活が苦しくならない小さな金額でいい。

誤解を恐れずに言うなら、人を助けるなんて鼻をホジりながら、片手間の余裕を持ってするべきだ。

そうじゃないと人への支援なんて長く続かないからだ。

金持ちの100万円と生活に余裕の無い人の100万円は世間に出回れば同じ価値だが、出してる人間の負担は大違いだ。生活に余裕の無い人間が人のために無理して出すべき金額ではない。

小さな助けでいいんだ。自分の生活が困らない範囲の手助けでいい。その時にちゃんと言えばいい。


「私の出来る範囲で助けるから」


自分の生活を一番に守った上での言葉でも、何もかっこ悪くない。「必ず」や「全力」などという言葉は使わなくていい。

人間は絶対に利己的な生き物だ。これを隠して、カッコつけて人を無理して助けようとするから、自分も相手にも不幸が訪れる。

これは人の事を言ってるんじゃない。自分の失敗を元に言ってるんだ。

俺は自分の欲望を全面に出さずにカッコつけて、

「俺が君を必ず助けるよ!大丈夫!まかせとけ!」

こんな言葉で、ある女性を助け始めた。

しかし、本心は、

「めちゃくちゃ可愛いいな。俺の好きな癒やし系の雰囲気でタヌキ顔。井川遥にソックリや!ここで助けて良い面を見せて、付き合えたらいいな!」

こんなゲスな思いを隠しながら、生活を助けて恩を売ろうとしたのだ。


なんと、卑怯な男!支援の風上にも置けない男だ!


しかし、こんな利己的な思いは可愛いい女性に対してならば男ならほとんど持ってしまう思いだから、ここはまぁ責めないでおくとしても、この後だ。

俺は本当に力がなかった。全体重をかけて俺を信頼してくれて、頼ってくれる人間を必ず救うほどの力がなかったのだ。

その結果、10年以上の長い時間を無駄にして、相手の女性の心は荒みに荒んで、二人共が不幸になってしまった。

だから、力がない人間は安易に人を救おうとしてはならないと思うのだ。

数千万のお金が無くなったとしても、

「喜んでくれたから、まっいっか!」

これぐらいの余裕がある人間だったら良かったのだ。

たかだか数百万の借金を肩代わりしたぐらいで、星空を見ながら、


「俺は彼女の人生を救った…これで良かった。我が貢ぐ人生に悔い無し!」


などと、恍惚な表情で浮かれてる場合ではなかったのである。

数百万なんて、ビル・ゲイツ孫正義ならば、道で歩いてて落としても気にしない金額でしかないのだ。

俺はつくづく思う。全力で人を助けるなんて、家族以外ではしない方がいい。他人でも自分だけが家族と思ってるだけじゃダメだ。相手も自分の事を家族と思ってないと意味がない。

そうじゃないと、生活がダメだった時に必要以上に相手に罪悪感を持たせてしまうからだ。

なぜ、俺がこんなに全力で人を助けなくていいと力説するかというと、もちろん自分が過去に失敗した経験があるからなのもあるが、やはり無力な自分を慰める意味で書いてる側面もある。

能登半島地震で、心を痛めてる自分がいるのは確かだが、今だに何も支援出来てない自分に罪悪感を抱いてるのだ。

だから、無理しなくていいと自分に言ってる。自分の動ける時、余裕のある時にでいいと。

自分の生活に余裕もないし、何より自分の心がまだ癒やされてないではないか。自分が一番可愛いいと思ってる心を隠す必要はないし、利己的でいいじゃないか。それが人間だ。

困ってる人を忘れず、思うだけでも支援に繋がると思う。


人は忘れられるのが一番辛いのだ。


俺は文章を書き始めてなかったら、今もまだ人と関わろうともせずに、外の明るさと共に目を開けて、外が暗くなったら目を閉じる植物のように暮らしてただろう。

それでも寂しいと思う心もなく、死ぬまで何もしない人生になってたと思う。

心が死んだまま、身体も死ぬ人生で終わってたのだ。

しかし、文章を書くようになってから、文字の中の世界とは言え、少しでも人との繋がりがある生活となり、スキを押してもらえることにより、また明日も文章を書こうとする力となってるのだ。

スキを押してくれる人は、自分の生活を犠牲にして押してるとかではないと思う。

「この一押しがジョージを救ってる!!私がジョージの人生を救う!!ジョージに幸あれ!!!」

などと、指先プルプルさせながら全力で押してるとかでもないと思う。

本当に無理なく押してくれてると思う。

しかし、それが俺の毎日の記事を更新する力になってるのだ。

だから、人を助けるのに全力はいらない。

 


人を忘れず、思うだけでも相手への支援になる。

 


そんな小さな思いが、いろいろな支援の第一歩になると思って、俺もまた文章にしてるのである。

心が揺れる


f:id:aonisai12345:20240418192051j:image

お金って本当に不思議。


食欲や性欲、睡眠欲などの人間が生まれ持った欲求から人間が逃れられないのは分かる。その欲求がないと生物として終わってしまうからだ。

しかし、お金は大昔は無かったものだ。お金がなくなったとしても、生物は死ぬことはない。

お金は人間が勝手に作った価値観であり、そのお金を求めてほとんどの人間がお金中心の生活を送ってる。

生物には、本来、備わってない欲求なのに、人間はお金を欲しがり、人を騙し、時には人殺しまでする。

俺も世の中の拝金主義に毒されているから、もちろんお金はほしいし物欲もある。しかし、大金を持ったとしても俺の物欲はあっという間に満たされてしまうだろう。


なぜなら、お金を使うのにも人間関係が必要だからだ。


高い服を買ったり、高級な車を買ったり、美味しい高級レストランに行く。

これらの欲求を本当に満たすためには人間関係が必要だと思う。

人に良く思われたいから高い服を買い、女性にモテたいから高級なカッコいい車を買い、相手を喜ばせたいから一緒に高級レストランに行くのだと思う。

これらの経済活動を、たった1人で行なっても何も面白くないし、虚しさだけが募るはずだ。


俺には、お金を使って楽しむための人間関係がまったくない。


だから、大金を手に入れても、すぐに物欲が満たされてしまう可能性が大だ。


俺の心は煩悩にまみれているはずが、それを確認するための人間関係がない。今の俺は物欲にまみれ、人を憎み愛したり、良くも悪くも人間らしく生きてない。


しかし、こんな俺でも3年半ほど前はお金に翻弄され、お金の魅力に心揺れる毎日を送っていた時があった。

ちょっと前に書いたが、俺は本当に大事にしなければならない人を俺の怠慢により失った。

その人の日々の優しさ、日々の何気ない俺のためにしてくれてた行動、ただただ一緒に時間を過ごしてくれてた日々、これらを当たり前と思ってしまってた。

失った今だからこそ分かる。

大事な人の心は、毎日ちゃんと自分の言葉と行動で、相手の心を常に労るべきだった。


不満はないかい?


嫌なことはない?


体調は大丈夫?


無理はしてない?


何も正座して改まって毎日聞く必要はない。ライトな感じで毎日挨拶のように気にすればいい。聞いてくれるだけで解消する不安だってあるはずだ。

しかし、その当時の俺は相手が不満を言わないことを、不満がまったくないことだと勘違いしてしまい、相手の心が壊れるまで放置してしまった。

それによって俺は、

 
「あなたはもういらない」


この言葉を言われて、俺は切られた。

この経験があったからこそ、次に出会った人にはちゃんと日々の言葉を聞いて、相手の不満を解消しようと心に誓ったのだが……

何の因果か、次に出会った女性が不満を言いまくりの超ドSのモラハラ女性だった。

しかし、それでも、今度は相手の心を壊さないように、俺の出来ることは全てやろうと思ったのだが、俺の出来ることは相手のためにお金を使う事だった。


今の生活とは真逆のお金という欲望にまみれた生活の始まりだった。


相手の借金の全額返済から始まり、生活費の援助、新車の購入、本当に彼女の生活を助けたかったから、俺は自分が貯めていたお金を惜しみなく使ったのだが、厄介な事に彼女は俺からのお金の援助を最初は拒むのだ。しかし、それなのに自分が生活に困ってる姿を遠慮なく俺に見せる。だから「助けようか?」というと拒む。しかし「支払いどうしよう…」と嘆く。

こんなやり取りを夜中までして、俺はどうしようもないから家に帰ろうとすると、


「見捨てるんだね、じゃあ死ぬから…」


俺は慌てて彼女の家まで生活費を渡しに行ったりする。

ここまでに散々モラハラを受けて、さらに死をちらつかされて精神的に追い込まれる事も日常的にあり、俺は精神が限界に近いこともあって、俺は頭を下げて、


「お願いだから、お金を受け取って下さい…」


そう懇願した時があった。人にお金を借りるために頭を下げたのではない。人にお金を受け取ってもらうために俺は頭を下げたのだ。それなのに…


目の前で渡した8万円を道路に投げ捨てられた。


この時に人に対して今まで感じたことのない怒りが湧き上がったのを覚えてる。言葉に出せない感情だ。


結局はここまでしたら、相手はしょうがないなぁとお金を受け取ってくれる。こうやって「私は嫌がったのに、あなたが無理やり私にお金を渡した」という既成事実を作り上げていったのだと思う。


そう、俺がお金にまみれた期間は自分の欲望のためにお金を求めた期間ではなく、人にお金を渡すためにお金のことを毎日考えた期間だった。


こんな扱いを受けて、なんで我慢してたのか?とほとんどの人は思うだろうが「俺が必ず助ける!」と断言してしまったから、その約束をなんとか守ろうとしただけだ。


良い言い方をすれば、この女性は俺の言葉を信じたわけだ。だから、全体重をかけて俺を頼った。


俺は自分の言った言葉に責任を持とうとして、最後の方は本当に約束だけを守ろうとする日々だった。

人に言った言葉は相手の心に届いた時点で命を宿すと思う。

俺の言葉を信じて自分の全体重をかけて俺を頼ってる。言い方、やり方は乱暴かも知れないけど、俺の言葉を心の拠り所にしてたのかも知れない。


だから、この人を見捨てることは出来なかった。


この恋の結末は俺に人を助ける力がなかったから、俺が全財産を失って、逆に俺が切られて終わった。


しかし、やはりお金とは人に使ってこそのお金だと思う。


単純に考えれば、お金より人の心の方が間違いなく価値があるはずだ。


人のためにお金を使うから、お金を求めることに意味があるのに、お金のために人を裏切り、お金のために人を見捨てる人が多数いる。


今の俺はお金の魅力に心が揺れる日々ではなくなったが、かわりに人に必要とされない人生となった。


俺の欲望にまみれた心は、人と一緒にいないと現れない。


欲望にまみれた日々が懐かしい。


今より間違いなく人間らしい日々だった。

 

 

自分のためだけに生きる人生は悲しいな。

一番下から見る景色


f:id:aonisai12345:20240417191833j:image

言葉は適切ではないかも知れないが、一番下の景色とは差別される側の景色だと思って書き始めている。

俺は差別されてる人の姿はたくさん見てきた。

「にしおかすみこ」という芸人さんがいる。

この人は2008年頃にエンタの神様でブレークをしたんだが、俺はあるイベントでこの人を見たことがある。

一通り、テレビで見るような持ちネタをした後にお客さんと写真撮影や握手をしてたが、この人にとっての全盛期であろう時期に本当に腰が低くて、一生懸命にサービスをしてるのを見て、俺は好感を抱いたのだった。

言葉は悪いが、汚い身なりの客であろうと、全員に同じような態度で接していた。

しかしだ。

別のイベントで、もう今は見ることが無くなった、ある綺麗な好感度の高い女性タレントさんがイベントか終わるやいなや笑顔は消え、オッサンの呼びかけは無視し、スーツ姿のお偉いさんには笑顔で挨拶してる姿を見て俺は大変ガッカリした思い出がある。


なんや、テレビとまったく違うやないかーい。


いちいち、全てのお客さんと同じ対応してたらきりが無いのは分かるが、あまりにも対応が違うから、ある意味プロやなとも思った。

せっかくテレビで見てた綺麗な有名人に会えると思ってイベントに来てるのに、無視された人はどんな気持ちになるんだろう。

熱心なファンだっだら、一気に嫌いになるだろうな…

仕事関係の社長とかに話しかけられたら、絶対に無視はしないが、一般人のオッサンの声援は無視。

自分の利益に繋がらないからだろうけど、誰だって絶対に差別する側から転落しないという保証はない。いつ、どんな時も一番下まで転がり落ちる可能性はある。


俺は中学に入学した時は最初は卓球部に入った。本当は小学校からサッカーに夢中だったから、サッカー部に入りたかったのだが、中学生になる前に他の小学校とのレベルの差を思い知らされて、ビビってサッカー部に入るのは止めたのだ。

俺の通ってた小学校にはサッカーチームは無くて、ただ、昼休みと夕方に同級生たちと遊びの延長でやってたサッカーしかしてなかった。しかし、中学校になると多くの町から子供たちが集まって来る。その中の一番人数が多い町の小学校にはサッカークラブというコーチ付きのチームがあって、お金を払ってサッカーしてる子供たちがいたのだ。

この子供たちが本当にサッカーが上手かった。リフティングなどは平気で100回ぐらいはするし、ドリブルやフェイントも上手い。初めてそのチームの子供たちと対戦する機会があり、俺のサッカーに対する自信は完全にぶち壊された。

俺はリフティングは50回も出来なかったし、ドリブルは千酔っぱらいのように千鳥足、フェイントはボールを操るではなく、自分の体だけをフニャフニャ動かすだけの、タコさんフェイントで本当にレベルの差を痛感した。

俺のサッカー愛は中学生になる前に打ち砕かれて、スポーツはサッカーだけが好きだったのに、なぜか卓球部に入部した。

しかし、卓球に青春をかけてる人には申し訳ないが、卓球部に入った俺はまったく女子の眼中に入ることはなく、モクモクと素振りだけを続けてたのだ。

得点が決まった時の掛け声は「サー!」がいいかな?いや「チョレイ!」がいいかな?卓球が上手くなる前に自分の掛け声を練習してると、なんと見てしまった。


サッカー部の練習を熱い眼差しで見てる、軟式テニス部の女子の集団を!


これはもしかして?サッカー部に入れば、自然とテニス女子の視線の先に入ることが出来るのでは?

こんな、下心丸出しの動機で卓球部を辞めてサッカー部に入ったら…

なんと、このジョージ、思惑通りにキャーキャー言われ出したのだ。

しかし、卓球部の時のジョージとサッカー部のジョージは見た目も中身も何も変わってない。


変わったのは、卓球部かサッカー部かの違いだけだ。


人間の質が上がったわけでもないのに、肩書が違うだけでチヤホヤされるのだ。

下心だけでお世話になった卓球部を早々と捨て、アッサリとサッカー部に鞍替えしてるわけだから、何なら人間の質は確実に下がってる。

しかし、そんな人間性の人間が女子からは良い扱いを受けてる。

ということは、世間は本質など見ずに人の扱いを変える可能性があるということだ。

今はこうやって冷静に分析して書けてるが、当時の俺は肩書きで扱いが変わっただけなのに、自分の実力、魅力で女子を惹きつけてると勘違いしてしまい、天狗の鼻は伸び切ってしまってた。

なんという浅はかな人間性だ。

しかし、すぐに天罰が下り俺は同級生の男子にボコボコに殴られ、そしてビビってサッカー部を辞め、見事に底辺まで転がり落ちた。

俺も一番下の景色を見た人間だと思ってる。

本当のドン底を見てる人からしたら、俺の一番下の景色など甘いと言われるのは十分承知だ。しかし、他人の痛みなど一生分からないのだ。自分の痛みしか実感出来ないし、理解出来ない。

その時に机の角に足の小指をぶつけたならば、それがその人の現段階での最高の痛みだ。だから、その人が一番下の景色と思ったら、一番下の景色なんだ。

俺が一番下だと思った所から見る景色は本当に惨めで情けなかったけど、でも思ってた。女子にモテて調子に乗ってた俺は人に殴られても仕方ない男だと。

周りの男子に思いやりもなかったし、自分がモテることばかりに目が向いてて、本当にクソな人間性だった。


今思うと、女子ににチヤホヤされて、周りの男子を大事にしてなかった俺から見る景色こそが、一番下の最底辺の景色だったのだ。


俺はモテてチヤホヤされてても、決して人間的には上には上がってなかった。


心は最底辺で薄汚れていたのだ。


人は本当にいつ差別される側になるか分からない。だから、なおさら周りの人に気を使うべきだった。

にしおかすみこさんは絶頂期にあんなに腰が低かったのは、下積みが長かったか、過去に辛い思いがあったのかなと思う。


結論を書いてしまうと、人を差別してる時点で一番下の最底辺の人間に成り下がってる。


それを気づいてないから、いつか自分で分かるまで一番下の景色から人をさらに差別し続けるんだろう。

俺は少しでも人間性を磨ける経験が出来て本当に良かったと思う。

 

 

今は、俺を殴って頭を冷やしてくれた同級生に本当に感謝してる。

人を思いやる夜


f:id:aonisai12345:20240416210407j:image

ジョージは改めて思った。


何を思ったかというと、ロマンス詐欺に合って改めて思ったのは、やはり積極的に行動する人間がいろいろなものを手にする可能性が高いということだ。

俺みたいに相手からグイグイ攻めてこられると相手に悪いなぁと思って、相手の要求を断れない人間が一定数はいる。


俺なんかは詐欺師からしたらカモ中のカモである。


「LINE教えてぇ〜ん」と言われれば、断りきれずにLINEを教えて、

「ジョージと一緒に暮らす!」と言われれば、

「俺が君を一生守る!俺は君に出会うために生まれて来たんだ!」

と、1人、生涯純愛宣言をする始末である。


詐欺師からしたら、なんとも扱いやすい人間…


ロマンス詐欺を仕掛けてくる人間は、とにかく積極的だ。まぁ金を毟り取るのが目的だから、相手の反応などお構い無しで、一生の内に何度もは人に言えないような甘い言葉のマシンガンを俺の心に何発も撃ち込んで来るのだ。

俺などは、そんな甘い言葉の一発でも打ち込まれるだけで、即、昇天なのだが、よくよく考えると、詐欺師と言えど、この積極性は見習う所もあるなと今になって感じてる。

人は誰だって傷つくことは怖い。だから安易に人に好意は見せない。それは拒絶された時にショックが大きいからだ。

しかし、自分が傷つく事を恐れずに、積極的に相手に好意を見せ続けれる人間こそが相手の心を開かせる事が出来るし、相手の心を奪うことも出来るのだと思う。

俺みたいな消極星からやって来た、受身星人からすると、自分から動かない人生は本当に何も起こらない。

草や花だって、1日あったら何かしら成長したり前向きな動きはあるものだが、文章を書き始める前の俺は、1日中布団の中で丸くなりながらパソコンでYouTubeや映画などを見て過ごし、体を動かすことと言えばご飯やトイレへの移動だけで、本当に抜け殻のような生活だった。


人生とは自分から積極的に動かないと本当に何も起こらない。


そして、それによって失った時間のツケは自分自身が払うのである。


今は文章を書いて少しは能動的になってると言っても、それを世間に発信するのは完全に受け身だ。


例えるなら、広大なネットの海の真ん中で、小さなイカダの上でスッポンポンで大の字になって寝てるジョージ。そして小さな小瓶の中に、その日、紙に書いた小難しい内容のエッセイを丸めて入れて、その小瓶をネットの海に投げ入れて、誰かが見てくれるのを、ただひたすら待ってる状態だ


こんな消極的なやり方で、一体誰が見てくれるというのか?


しかし、こんな受け身なやり方でも、わざわざ、俺の小瓶を拾って中の文章を見てくれる優しい人がいる。さらに、この広大なネットの海の中から、再度、俺の文章を見るために、俺の投げ入れた小瓶の中のエッセイを探して見てくれる人がいるのだ。


こんなありがたいことがあっていいのでしょうか。


だから、俺は毎日、自分の中の小さな小さな積極性と生まれたてのヒヨコのような初々しい嬉しさを奮い立たせて文章を書いてる。


そして俺は考える。


俺がこんなに消極的なのは小さな時から自分に自信が無くて、1人で勝手に傷ついて来た経験があるからだ。

これは俺だけじゃなくて、世の中には自分で自分を追い込んで、1人で苦しんでる人も多いのではないかと思う。

だったら、世界中の全ての人が、イケメン、美女で自信満々の人たちで溢れてたとしたら、みんな差別も無く幸せに暮らせるのだろうか?

多分、みんなが優れた容姿や自信がある人間同士だとしても、そこから無理やり差別を作り、それによって苦しむ人間が出てくるのを防ぐことは出来ないと思う。

人は他人と比べることでしか自信を持つことが出来ないのではないだろうか?

俺は普段は人の悪口を一切言わない。

それは俺の心が綺麗なわけではなくて、悪口を言うのでさえ、人間関係が必要だからだ。


そう、俺には悪口を言える人間関係さえない。


俺の両親ものんびりと仙人みたいに暮らしてるが、周りにあまりにも人がいないから人の噂話もほんわかした噂話しかしない。


「上田さんの家は今年は田植えが早いねぇ」


「けいちゃんの家の田植え機が新しくなってたよ!」


我が家のゴシップはこんな話題で溢れてる。


俺は決して綺麗な心は持ってないが、人の悪口を言えない環境なのは本当にありがたい。俺は押しに弱いから悪口を言える環境になったら、周りの誘惑に負けてすぐに人の悪口を言ってしまうかも知れない。

今、人の悪口言ったり、人をイジメてる人も、環境さえ変わればそんな事をしなくていいはずだ。もしかしたら、人を傷つけながら、それを止められない自分に苦しんでるかも知れない。

俺なんかより、心が綺麗で優しい心を持ってる人が環境のせいで人を傷つける日常を送ってるかも知れない。


これからの日本が、本来の優しい心のままで生きれる人がたくさん増えて、苦しむ心が救われる日本になるといいな。

 

今日は、そんな人を思いやる夜にしようと思う。

知りたくなかった


f:id:aonisai12345:20240415174000j:image

僕が経験した悲しい豆知識を書こうかな。


僕は出会ったばかりの人の借金を背負ったり、好きな人の生活費を出したり、とにかくお人好し全開の馬鹿な事を年単位で続けてしまったんだけど、その途中で気付いた事がある。


それは、相手が僕の事を大切に思ってくれてれば、僕にお金を出させるような事を絶対にさせないという事だ。

夜のお店に勤めてる女性は分かるとは思うけど、本命の彼氏を自分のいるお店に来させるような事はよっぽどじゃないとしないと思う。


それはなぜかというと、大切な人に金銭的な負担をかけさせたくないからだ。


自分が相手に大事にされてるかは、相手の行動を見てたら分かる。


僕は大切な人からLINEやメールが来たら、自分が返事を返せる時はすぐに返信する。

恋の駆け引きをするとか、焦って返信するのがカッコ悪いとか、そんなのは関係ない。

大切な人が返事を待ってるわけだから、その返事に素ばやく返信をする。こんな分かりやすい愛情表現はないと思う。

でも、僕は大切に思ってる人から何時間も返事を待たされる事がしょっちゅうあった。数時間待つぐらいなら、まだ良い方だ。

週末だと土日に返事が来ない事もあった。相手から聞かれた事に素早く答えて、また相手からの返事が必要な連絡だったとしても、僕は2日間待たされた。

その時に2日間待って、返って来た答えが、


「寝てた」


だった。


僕なら絶対にしない事。相手が大切な人なら、僕は絶対にしない対応だ。


僕が経験した、みんなに教えたい悲しい豆知識は、あなたの大好きな人が自分をどう思ってるかを知る方法だ。


自分が大切な人に絶対にしない事を、相手が簡単に自分にやってきたり、あなたに金銭的な頼みを簡単に言ってきたりしたら、あなたは大切に思われてない。


これはかなりの高い確率で正しいと思う。


大切な人を大事に思えば思うほどに、大切な人に負担をかけたくないし、何があっても大切な人を守りたいと思うものだ。


でも、この悲しい豆知識の行動に、あなたの好きな人の行動が当てはまってたとしたら、この豆知識を知ってたとしても何も利益はない。

 

あなたの失望と悲しみだけが積み重なるだけだ。

簡単な約束


f:id:aonisai12345:20240415005111j:image

子供の頃に、こんなことを言われたことはないかな?


「自分がされて嫌なことを人にしちゃいけません!」


俺がこれを言われたのを覚えてるのは、小学校の時かな?小学校の低学年の時に女の先生から言われたことがあったような…

いつ言われたかは記憶は曖昧だけど、確かに言われたことがある言葉だ。

いや、言われたというか先生に怒られたんだ。俺が他の子に何かをしてしまって、それでこの言葉を言われて怒られた。そして、俺はその時に約束をした。


「自分がされて嫌なことは他の子にはしない!」


しかし、俺はこの約束を絶対に守って生きて来たとは決して言えない。


それは、他人の体の痛み心の痛みを、絶対に自分の痛みとして感じられないからだ。人の痛みを感じることが出来ないなら、知らず知らずのうちに他人を傷つけることがあるのは仕方ないと自分に言い聞かせる…

でも、良い言葉だと思う。この言葉を守ることが出来れば、戦争も起こらないのではないだろうか?


もちろん、この言葉を守ることが出来たらだけど…


人が悩んで苦しんでる時に、よくこんな慰める言葉を言いがちだ。


「あなたよりもっと苦しい人がいるんだから、それぐらいで悩むことはないよ」


一見、励まして良いことを言ってるように思えるが、結構残酷な言葉だと思う。

それは、相手の中の最大の苦しみを大したことないと言ってるからだ。「大したことじゃない」ではないんだよ、本人からしたら。この言葉こそ悩んでる人の痛み苦しみに寄り添ってくれてない。大人の意見として客観的に意見を言ってるつもりだろうが、本人にしたら今の自分の苦しみが世界中で最大の苦しみなんだ。

腕が切り刻まれた痛みと、タンスの角で足の小指をぶつけた痛みは、痛みの大きさとしては客観的に見て同じ痛みではない。しかし、タンスに足の小指をぶつけた痛みでも、それは本人の中の最大の痛みなのは間違いない。

だから、他の人の苦しみと本人の苦しみを比べてはいけない。苦しんでる本人の気持ちに立って痛みを想像しないといけない。


でも、それが出来ないんだよな…


俺はネット上では綺麗事ばかり書いてるが、それは自分が匿名だから人の名前を出して批判したりするのが卑怯だと自分で思ってるから、自然と綺麗事ばかりを書いてる。

もちろん、心のドス黒いジョージもいる。

しかし、やはりド田舎で大自然に囲まれて生きてるからか、ドス黒ジョージのドス黒さは薄まっていってる。心の中に湧き上る人への批判も可愛らしい批判になっていってる。


世間の荒波に揉まれないと、悪人の心も磨かれないものだな。


自分がされて嫌なことを人にしない。本当は子供でも出来る簡単なことなんだけどな…

でも、大人になるとなぜだか、人の痛みと大切な人を失う痛みが分からなくなって間違いを起こしてしまう人が続出してる。


例えば、最近の大きなニュースでも、大谷選手からお金を盗むより、この先ずっと大谷選手と仲良くする方が圧倒的に得なのに、あの人はなんでお金を盗む選択をしてしまったんだろう…

俺が考えるに、何か悪い事をする時には、この悪い方を選択したらどうなるか?その時に、二者択一を想像するくせを付けたらいいと思う。


このお金を盗むと大谷選手から嫌われ縁を切られてしまう。


お金を盗まないと、大谷選手とこの先もずっとパートナーでいられる。


さぁ、どっちを選ぶ?


こんな簡単な二者択一はないだろう。


他には、大好きな人と結婚してる状態で浮気をしたくなったら…


ここで浮気したら、大好きな人の心と存在を失ってしまう。


ここで、浮気をしなかったら、大好きな人と、さらに大切な家族を作って、ずっと幸せに暮らせる。


これも、簡単な二者択一だろう。


もちろん、相手を今も愛してて、絶対に失いたくない存在だということが前提の二者択一だが…


本当の解決策は、大事な人の心の中が分かれば解決なのかな?


でも、相手も自分と同じように、ずっと自分を大切に思っててくれればいいけど、もしかしたら自分から心が離れる瞬間も分ってしまったら辛いな…


その他にも、自分を裏切ってる心を知ってしまう可能性もあるのか…


だったら、相手の心の中の全部は知らなくていい。大切な人の苦しみだけ事前に分かればいい。都合の良い話かも知れないが、大切な人の苦しみを理解しようとする努力は出来るから、そんな思いを日頃から持って一緒にいればいいだけだ。


これも、簡単なことだ。


相手を大切に思ってたら、簡単な事。


本当は人生での大事な事は子供の時から周りの大人が教えてくれてた。


「自分がされて嫌なことを人にしちゃいけません!」


こんな簡単な事、子供に出来て、大人に出来ないわけがない。

 

小さな子供に見られても、恥ずかしくない行動を取れる大人を目指しましょう。

パーツが足りない


f:id:aonisai12345:20240414014656j:image

僕は偽善者だ。


自分でこんな事を言う人間は、本当は心ではそんな事は思ってない人が多いと思う。周りの人に「あなたは偽善者ではないよ」そう言ってもらうのを待ってる。


しかし、僕は正真正銘の偽善者だ。


普段の僕は話しかけるなオーラを身にまとい、人とは目もまともに合わさず歩き、もちろん自分からも話しかけもせず、フレンドリーという言葉からは一番遠いところにいる人間だ。しかしだ、そんな僕が相手が車椅子とか体の不自由な人と見るやいなや態度が変わるんだ。

そんな社会的弱者と言われてるような人を見ると、途端に自分から積極的に近づこうとして、助けようとまでしてしまう。


それはぜか?


その時の僕の心を正直に記そう。


その時の僕は、

 
「僕ってなんていい奴なんだろう?体の不自由な人を積極的に助けて、それが当然だと振るまってる。そうだ、社会的に弱い人に対して、こんなに優しく接してる僕を見て!そして、この僕の善行を皆に語って広めてよ!」

 
どうだ!まさに偽善者。だから、自分で自分のことを偽善者だと断言してる。さらにだ、こんな心まで持ってる。


それは、相手が体が不自由というだけで、自分を相手より優れてると思ってるのだ。勝手に自分が上だと思ってる。喧嘩の弱い奴にイキってるチンピラと同じだ。


なんと醜悪な心。


この汚れた心では偽善者の風上にも置けない。

 
体が不自由な人は何も悪くない。健常者だって、全てがパーフェクトではないし、何かが足りなかったり、何かが優れたりしてる。生まれながらに体が不自由な人はお母さんのお腹の中に何かのパーツを忘れただけだと思う。

 
だから、人より劣ってるわけではない。足りないものかあれば、他で補えばいい。


そんな正真正銘の偽善者の僕の醜い心は昔からだ。僕は4つほど職業を変えたことはあるが、ある職業の時に失語症の若者と一緒に働いたことがある。


名前は田中くん(仮名)

 
彼は本当に喋らなかった。何を聞いても、30秒すら喋らない。いや喋れない。

 
しかし、笑顔が可愛かった。目が無くなるほどの笑顔。目がカモメになるほど、漫画で書くと簡単な目だ。笑福亭鶴瓶の目にソックリと書けば分かりやすいかな?

しかし、何を聞いても、


「あっ……わ……かり……ました……」


まさにこんな感じた。だから、簡単な仕事しか任されてなかった。でも、汗だくになって一生懸命に働いていた。

僕は当然のごとく優しく接した。自分の方が田中くんより優れてると思ってるからだ。

しかし、いくら優しくしても、田中くんはまともに喋れないんだ。その当時は失語症なんて詳しくは知らなかったから、誰かにイジメられたとか、親に虐待されたとか、精神的なショックで話せなくなったのかと思ってたが、失語症を詳しく調べてみると後天的な脳の障害だと分かった。

生きる術なのか、田中くんの笑顔は本当に見てるだけでこちらまで嬉しくなるような笑顔だった。

僕は田中くんの1000倍は話せるのに、周りの人はしょっちゅう田中くんに話しかけていた。

僕の心の醜さが見透かされてるのか、僕は田中くんに人付き合いという面で負けていたのだ。

僕の1000の言葉より、田中くんのたった一回の笑顔の方が人を惹きつけていた。これは紛れもない現実だ。


僕は田中くんより優れてると勝手に優劣をつけてたけど、僕は田中くんより劣ってた部分があったのだ。


でも、その時の僕はそんな事にすら気づかずに相変わらず、田中くんに優しくしていた。

 
その田中くんは酔っ払うと30秒ぐらいは喋るようになった。本当に体に力を入れて必死に喋ってた。僕はその姿を見て、本当に喋るという事が普通の人に比べて苦労するんだなと思ったのを覚えてる。


上司の人が田中くんと僕をフィリピンパブに連れて行った時、あんなに無口な田中くんが本当に楽しく過ごしてた。フィリピン人の女性はカタコトの日本語で面白おかしく話してるけど、田中くんはニコニコして楽しそうに身振り手振りジェスチャーをして笑ってるだけだ。

考えてみたら、海外に行けば言葉は分からない。だから、話せなくても身振り手振りで相手に気持ちを伝える。

海外に行って身振り手振りジェスチャーで自分の思いを伝えるのが海外では普通だとしたら、その状況は失語症とあまり変わらないのではないか?


だから、田中くんは楽しかったのかも知れない。


僕はフィリピンパブではトム・クルーズと名のり、フィリピンに残してる4人の兄妹とお母さんのために必死に働いてるリンダに密かに恋をしてた。

僕はいつもの「あなたをタシュケたいからー」のチャン・ドンゴンの言葉のようなカタコトの恋心で、お母さんと兄妹4人の面倒を見ることまで真剣に考えていたのだが、結局はリンダは4人の兄妹ではなくて、子供4人と旦那さんがいる女性だった。


オーノー


僕の恋はいつもデンジャラス。

 
ある日、俺は田中くんが会社の寮の自分の部屋で、真剣な顔をして座ってる姿を見かけた。

今まで、見たことない鬼のような形相だった。当然のように何があったのかを聞いたが、もちろん当然のように何も言わない。

 
いや、言えないのだ。


いや、必死に説明しようとしてた。しかし、言葉が出てこない。


田中くんの、あのいつもの笑顔もない。


俺は、これは何かあったと、上司に相談したが、田中くんは上司にも何も言えないのだ。


そして、その後すぐに田中くんは寮から消えた。


夜逃げ同然の失踪だった。もちろん、誰も理由は分からなかった。


僕は田中くんより自分が優れてると思ってたから、勝ち誇ったように田中くんに優しくしてた。でも、田中くんの方が周りの人に好かれてた。


これでは、どちらが健常者なのか分からない。


僕は自分を健常者だと思い込んでたが、僕の方が人としてのパーツが足りなかったんだ。


いや違う。そもそも、みんなが何かしらパーツが足りないんだ。


だから、体が不自由な人だからといって、特別に優しくするのは、ある意味、差別なのだ。


みんなが、何かしら不完全なんだから足りない部分を、お互いが意識せずに、気がついた人同士が補い合い助け合えばいいだけだ。


僕の田中くんへの過剰な優しさは、自分の自尊心を満たすための差別だったように思う。


田中くんは言葉を話すというパーツは足りてなかったけど、みんなを楽しくする笑顔を僕より持っていた。

 

田中くんの笑顔が、今もどこかで誰かを幸せにしてたらいいな。