俺は道端に生える雑草のように生きてきた。
自分ではまったく苦労してないとは思うけど、人から見たらよく生きて来たなと思われる人生かも知れない。
かなりの山奥で産まれたから、小学校の時は友達と関わるのは学校に行ってる時だけだった。だから、土日や祝日に学校の友達と一緒に遊んだ記憶がない。なので俺の家に友達が来た事は一度もない。
と思ってたら、高校の時に1人だけ家に来たわ!
この時は、どうしても断り切れなくて、わざわざ20キロ以上の道のりを自転車で1人来たことがあった。
休みの日の俺の生態をどうしても知りたかったんだろうな。興味津々で家の中を探索し、そして2人でゲームをして帰って行ったっけ…
その一回だけかな、俺の家に友達が来たのは。
そんな子供時代を過ごしたからか、就職してからも休みの日には人と過ごすことが出来なかった。家に1人でいるか、休みの日は1人でドライブをしていた。
決して周りから嫌われていたわけではなかったとは思う。
仕事中は、無理矢理、別人格を演じて周りの人と仲良く会話してたし、仕事が終わった後は上司の人たちと毎日のように飲み会はしていた。これは俺にとっては仕事の延長であり、偽りの自分だった。
しかし、休みの日になると本来の自分に戻るのだ。子供の時にまったくして来なかった、同年代と「遊ぶ」ということが出来なかった。
いや、そもそも人と「遊ぶ」ってなんだ?
親には申し訳ない言葉かも知れないけど、俺はどこかが壊れてて不良品なのだと思う。
しかし女性には積極的に近づく時期はあった。それは不良品としての欠陥を凌駕するほどの性欲があったからだ。
こんなに自信満々に宣言するのはなんだか恥ずかしいが…
しかし、人と仲良くなる距離感が分からなかった俺は女性の喜ぶこと、お金を使うことでしか女性に好かれないと思ってた。
だから、相手に舐められる。
この人は私の要求を何でも聞くし、自分からは離れないと。
子供の時にして来なかったからだ。自分が相手に何も与えなくても、一緒に「遊ぶ」ということだけで一緒の楽しい時間を作りだせるのに、相手に「与える」だけが人を繋ぎ止める唯一の方法だと思い込んでた。
だから、そこに全ての労力を込める。
相手の要望をなんとか叶えようとし、そのためにお金を使う。
これこそが俺に出来る唯一の愛情なんだと思って、容赦なく全てを注ぎ込む。しかし、いつしかその力が無くなり、俺はついに力尽きた。
兄は俺とはまったく違う人間だ。
兄はこんな山奥の家に高校生の時に10人以上の友人を招いてパーティーをした時があった。高校生なのに酒も飲んでた。家に帰ったら酒の空き缶があった、まさに乱痴気パーティーだ。
俺は信じられなかったね。俺と兄は同じ部屋だったけど、俺の机の中も荒らされてた、辱めを受けたも同然だ
兄とは6歳離れてるから、俺は当時は小学生だった。
俺の家は石垣の上に建ってるんだが、その下の空き地にたくさんの自転車を見た時は本当に驚愕した…
俺の家が襲撃されたと思った。だから、その自転車が無くなるまで俺は近くの山に隠れて様子を窺った。まるでゲリラ兵の如くだ。
その時も思った、つくづく兄と俺は違う人種なんだと。
同じ環境、同じ食べ物を食べて育ったはずが、なんで俺はこんなに人付き合いが下手なんだ?
兄は有名企業でお偉いさんとなり、奥さんの地元で豪邸を建て、後は定年まで幸せに働くだけなのに、俺は今だに父親から本気で心配されてる。
「お前がちゃんと生きて行けるかを確認するまで死んでも死にきれん」
最近、こんな心配の言葉を言われた。
心配されるということは、こんな俺でも必要とされていて、全て無くした俺にでも愛情を持って接してくれてるということだ。これは俺みたいな頭の中が木魚みたいにスッカラカンな人間でもハッキリとわかる父親の心情だ。
しかし、これが他人となると、俺は人に何かを与えることでしか愛されないと思ってしまう。
俺がそこに存在するだけでは価値はないのだという自分を卑下する悲しき心だ。
「こんな夜更けにバナナかよ・愛しき実話」
という映画を見たら、主人公の人は筋ジストロフィーという難病で24時間介護が必要なのだ。しかし、この人は周りの人に何も遠慮しない。自分の思うままに振る舞って、そして回りの人を振り回すのだ。
でも、それでも周りの人に愛される。
もちろん、楽しい会話や愛される人柄があるからなのは分る。でも、この主人公は人に楽しさを与えるより人に負担をかける方が遥かに多いのだ。しかし、俺と違って周りから愛されてる。
小さな子供の時から俺の心の中にある、
「人に何かを与え続けないと人から愛されない」
この思いが脆くも崩れさる映画だった。
国民的な漫画のワンピースも去年初めてNetflixでアニメを見始めて、一気に最新話まで見て思った。
俺は主人公のルフィは一番強くて、みんなを守るスーパーヒーローだと勝手に思ってたが、実は結構負けてる。
そして、みんなに助けてもらって冒険を続けてるのだ。1人だけではとっくに死んでる主人公だった。
作者の尾田栄一郎さんはもう最終回までのストーリーは決まってると言ってたみたいだが、もう最後はルフィのピンチに今まで助けた仲間たちがルフィを助けにやって来る最後なんだと思う。もうこれしかないだろ。
人は1人では生きて行けない、だから、足りない部分は補い助け合って生きて行く。
みんな仲間だ!
作者の尾田栄一郎さんは、この思いを子供たちに伝えたいのではないかな。
俺だけが人に与え続けるだけじゃダメなんだ。それではいつか必ず俺は力尽きる。ダメな自分を隠さず、そのダメな姿で相手と向き合うしかない。
そんなことが俺には理解出来てなかった。
「元気で健康で生きてるだけでいい」
ボロボロになった俺を見捨てなかった両親からの愛情にはそんな思いが詰まってる。
もしかしたら、そのままの俺を必要としてくれてた人も過去にはいたのかも知れない。
しかし、当時の俺はそれが理解出来なかった。
高校を卒業してからも、何年も年賀状を送ってくれた同級生もいたが、俺は故郷での過去の全てを捨てたかったから全部の年賀状の返事は書かなかった。
始めて就職した会社で休みの日にボーリングとかソフトボール大会に誘ってくれた人もいたけど、俺は断ってしまった。
決して、俺から何かを与えてもらおうとか俺のお金を目当てにしたものではない、俺の存在だけを必要としてくれただけの優しだったのに…
今だから分る優しさだ。しかし、俺はもう手遅れの人生となってしまった。
だから、今、自分に価値が無い、自分の存在意義に悩んで自分から消えようとしてる人、その人には早いうちに気づいてほしい。
「そこにいるだけでいい」
あなたの事をそう思ってる優しい人は必ずいるから、自分の価値を自分で決めてはダメだ。
全てを無くし、今だにこんな自分を心から心配してくれる両親がいる俺だから、今はこう思える。
人はそこにいるだけで、価値がある。