俺は本当に365日の積み重ねの過去があったんだろうかと思うほどに昔の記憶がほとんど思い出せない。
高校生の時の修学旅行は東京に行ったのは確かに覚えているが、小学校、中学校はどこに修学旅行に行ったのかさえ覚えてない。
本当に俺は存在して来たのか?
そんな事さえ思ってしまう。
高校の時の修学旅行で今でもハッキリ覚えていることは、同級生の何人かで電車に乗ったんだよ。その時に同級生の1人が電車のドアに挟まれた。それを見て、同級生たちは大爆笑だった。
しかし、東京の方々はこちらをチラリとも見なかった。
俺は「えぇ〜!こんなにオモロいのになんでみんな笑わないの?」
確か、こんな事を思った記憶があり、家に帰った時に母親にこのエピソードを話した記憶がある。
東京の人は他人のことをまったく見ない印象が記憶に残ってる。道を歩いてて、都会と言えど変な格好の人もやはりいるんだが、俺達はガン見して歩いてたが、東京の人はまったくそちらを見ずに歩いてた。俺は田舎とは違う違和感を感じながら東京の道を歩いた記憶もある。
俺の地域は車で走ってても、運転席に向かって頭を下げる老人も多い。近所の人が運転してるかも知れないから、何もあいさつしない事こそが失礼にあたる行為になるからだ。
俺の人生での修学旅行の記憶はこれだけだ。本当に小学校、中学校は修学旅行があったのか?そんな事さえ思ってしまう。絶対に小学校、中学校でも修学旅行はあったはずだが、いくら思い出そうと思っても思い出せない。
しかし小学校の時でハッキリと思い出すのは、何回も書いてる足の不自由な女の子の歩き方を男子数人で真似して馬鹿にしてる場面だ。
よっぽど俺の心に刻み込まれて後悔してる出来事なんだと思う。
その女の子のフルネームと顔と歩き方、お母さんはシングルマザーで家があった場所まで思い出される。
なんで、あんなに可哀想な事をしてしまったのか……
今の感覚なら、すぐに助けてあげることが出来たけど、あの時の子供の俺は可哀想だと思いながらも何も出来なかった。その女の子は小学校からそんなに離れてない場所に家があったけど、小さな体で一生懸命に歩いて帰ってただけなのに……
小学校のハッキリと思い出せる思い出がこれだけでは本当に悲しい。もっと楽しい思い出もハッキリと覚えていたら良かったけど、他の思い出はぼんやりとしか思い出せない。
中学校はサッカー部での人生最大のモテ期到来が唯一の良い思い出だ。しかし、この後に訪れる人生最大の転落、これがあるからセットで覚えてるだけだと思う。
サッカー部ではサッカー用のストッキング履くんだけど、本来はふくらはぎを守るように膝下までは履かないといけないのに、外国のサッカー選手が女子高生のルーズソックスみたいにして足首まで下ろしてストッキングを履いてるのを俺も真似して、さらに練習前のリラックスしてる状態ですよ!ってな感じでカッコ付けてボールをリフティングなどしてたのだ。
それも、イヤらしいことに、わざわざテニス部女子のコートの前に行ってのキザな行為だ。
もう、こうやって書くだけで俺は調子に乗ってる嫌な奴だ。今は、なんでこんなカッコ付けた事してたんだろ?と思えるのに、あの時の俺はそんな恥ずかしい行動だとは気付かなかった……
当時だって調子に乗って天狗の鼻を折られたとか、先人がいろいろと失敗エピソードをテレビや雑紙などで語っててくれてたわけで、いくら中1のクソガキと言えど、そんな失敗例がある事は分かってたはずだ。
しかし、俺の天狗の鼻は伸び切ってた。本当に調子に乗った嫌な奴だった。しかし、同級生にボコボコに殴られるまで俺はそんな馬鹿な事をしてるのに気づかなかったのだ。
その同級生にボコボコに殴られてる最中まで、俺は今でもハッキリ覚えている。まるでスローモーションのようだった。
1人の同級生の男の子が心配そうに、
「ジョーちゃん大丈夫か?」
そう言ってくれたのも覚えている。
他の中学校時代の楽しかった思い出などはまったく覚えてない。というか、楽しい思い出が無かったのかも知れない。
高校時代は、片思いしてたみさきちゃんが彼氏の膝の上に乗ってイチャイチャしてる姿ばかりを覚えてる。
こうやって、詳しく並べて覚えている事を書いてると本当に俺の学生時代はなんだったのかと思う。学校に通う意味はあったのかとすら思う。
いや、俺の人生自体に意味があったのだろうか?
過去の思い出をほとんど覚えてなくて、そして、ハッキリ覚えてるのは悲しい思い出や後悔の思いしかない。
でも、そう思う虚しい心さえ、いつか全て消えてなくなる。
芸能界のトップの成功者でさえ、何十年間という成功の歴史さえ、たった一度のスキャンダルで全て無かったように消えてしまった。
今では名前さえ出せない雰囲気だ。
本当はどんな人生にさえ意味はないのかも知れない。
誰かの心にずっと残ろうとすること自体が間違いなのかも知れない。
だからと言って、人を傷付けたり、いい加減に生きていいわけではないのは分かってる。
でも、俺の人生の過去の楽しい思い出は、もう心のどこを探しても残ってない。
いつか、俺の心も体も全てが消えてなくなるとしても、贅沢な願いかも知れないけど、誰かの心の片隅に小さな思い出として残りたいな。
これから、それが叶うように生きていこう。