慟哭が今でも聞こえる


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「慟哭」という言葉をGoogleで調べると、

 

「慟」は「声を上げ、身を震わせてなげく」という意味で、「哭」は「声をあげて泣き叫ぶ」

 

こんな意味だそうだ。

 

この意味にふさわしい悲しみの涙を、俺は見たことがある。

 

今の父親は穏やかになってるが、俺が高校生の時は本当に気性が荒くて、夕飯の時間になると毎晩のように酒を飲んで母親に文句を言っていた。

 

母親に文句を言った後は、その怒りは俺に向かって来た。俺がサッカー部を辞め、帰宅部となったのが気に入らなくて、それをネタにずっとネチネチと父親に怒られていた。

 

俺は夕飯を食べ終わると、下を向いて新聞を見てるフリをして父親の怒りが過ぎ去るのを待つ日々を過ごしていた。

 

新聞と言えば、情報源としては意味のない地元の新聞を最近まで我が家は契約してた。本当に意味がないのだ。新聞配達の人も我が家の周りに人がいないから、3キロ下の新聞置き場までしか新聞を持って来てくれない。だから、そこまで新聞を取りに行くのだ。

 

今はネットもあり紙媒体の情報は遅すぎてあまり意味はないのに、さらにその新聞を取りに行くのが夕方近くになってからだ。一体、なんのために新聞を契約してるのだ?

 

だから、俺は去年、母親に言ったんだ。

 

「新聞を取ることになんの意味あるの?月に三千円も払ってお金の無駄だよ」

 

この質問の答えはこうだ。

 

「周りの人が契約してるから、うちだけが契約を止めたら恥ずかしい」

 

これが田舎特有の発想だ。

 

周りの人の噂を極端に怖がる。

 

しかし、周りには10人も人がいないのだ。人の噂など起こるはずがない。

 

俺の両親は自分たちが損をしてでも恥をかきたくないと思う人種なのだ。

 

夏に観光地になる場所に土地を持ってるが、町に年間10万以下で、その土地を貸してる。夏場はかなりの売り上げになる場所だ。それなの年間10万だ。月に1万円以下の借地料だ。さらに父親が体が悪くなって農作業が出来なくなっていたから、余ってる農地を今年から人に貸すようになったのだが、先ほど「いくらで貸したの?」と聞いてみたら、

 

「5万や」

 

俺はてっきり月に5万かと思ったら、なんと年間5万だった。さらに貸しだす年数さえ決めてない。貸してる間は、我が家の土地なのに、俺たちはその土地に勝手に入ることは出来ない。これは土地を取られたも同然なのではないか?

 

俺が「さすがにもっとお金をもらったら?」と提案したら、

 

「金に汚いみたいで恥ずかしい」

 

ここでも、お金を儲けるより恥をかくことを何よりも嫌う両親の特性が表れてる。

 

金に汚くても、誰も何も言わないよ。

 

こんな田舎で悪口を言われたって、自分たちの耳に届く前に山の深い緑にかき消されて、こちらまで悪い声は届かない。

 

でも、両親は自分たちが損をしてでも、人前で良い顔をする方を選んで生きてきた。

 

これが、田舎で生きるということなのか?

 

炊飯器も12万円もする炊飯器を買ってる。電気屋さんが悪いとは言わないが、店員さんに勧められるまま両親が買ってる姿が見に浮かぶ。店員さんから説明を受けて、やっぱり止めたという事に恥を感じるから断ることが出来ないんだろうな。

 

俺も人の押しには弱いが、それは恥を感じるからじゃなく、相手に申し訳ないと感じるからだ。

 

こうやって書き並べると、結局は自分たちが損しても、何かを守るという点では俺と両親は似た者同士なのかもな。家族だから当然か。

 

そんなビタミン家だが、荒くれ者の父親は俺が高校を卒業するまでは本当に口が悪かった。

 

夕食の時、母親を怒った後に俺に怒りが向かい、その後に再度、母親に怒りが向かった時があった。

 

その時に父親は母親のお腹を箸で指しながら、こう言った。

 

「お前の腹から生まれた子が、こんなダメな奴になったんや!」

 

俺はこの場面を今でもハッキリと憶えている。

 

なぜなら、父親が言った言葉もさることながら、母親が泣いたのだ。初めて見た母親の涙だった。

 

そして、大人となり、あの泣き方を調べてみると、

 

「慟哭」

 

この言葉がピッタリな母親の涙だった。

 

母親の慟哭してる姿を今でもハッキリと覚えていて、父親の言葉も覚えている。

 

夫婦喧嘩を子供に見せないようにと、よく聞くが、これは本当だろうな。俺は父親が母親を怒ってる声を聞くのが本当に嫌だったから。

 

だから、俺は早く故郷を捨てたかった。就職した時は父親とは一生会わない覚悟だったが、今は父親も株式投資を始めたから、毎日のように一緒に仲良く株式相場を眺めてる。

 

あんなに嫌いだった父親へのわだかまりが、今は何も無かったように毎日一緒に過ごしてる。

 

でも、母親の慟哭は今でも忘れず聞こえるんだ。

 

母親は何も悪くない。毎日一生懸命に家族の為に、今も働いてる。何が楽しみなのか、何のために生きてるのか、何のための人生なのか、俺には母親の崇高な心の目的が今だに理解は出来ない。

 

父親は今は丸くはなったが、昔の片鱗は今だに残ってて、嫌な頑固オヤジなのは間違いない。しかし、母親はその頑固オヤジと出来損ないの息子のために毎日毎日、働いているのだ。

 

なんと素晴らしい女性なんだろう。

 

俺はこんな言葉は恥ずかしくて母親には言えないが、俺の文章を見てる人には自慢気に言える。

 

俺の母親は自分のたった一度の人生の時間を犠牲にして、夫のため、兄のために、そして俺のために、毎日毎日、今でも働いているんだ。

 

こんなに優しい人が俺の母親で本当に良かった。

 

でも、今でも母親の慟哭の声が俺の耳には聞こえてくる。

 

だから、母親の慟哭を少しでも思い出して聞こえないように、今は父親にも優しくしてるのだ。

 

憎しみは憎しみしか生まないから、優しい言葉と笑い声で、母親の慟哭の思い出を消せるように、今は父親と母親に優しくしてる日々だ。

 

 

いつかきっと、母親の慟哭が聞こえなくなる日が来るのを願ってる。