俺がネット上から消える時は決まってる。
それはもちろん、俺の書いた文章や動画、写真など、俺がネット上で発信するものが誰にも見てもらえなくなった時だ。
誰にも必要とされてないのに、それでも発信をし続けることに意味はない。虚しさと恥ずかしさだけが残るだけだ。
誰にも見られてないのに発信し続ける俺を露出狂で例えるなら、渋谷のスクランブル交差点で、クリーピーナッツのようにブリンバンバンボーンと全裸で歌い踊り狂ったのに、周りの群衆にそよ風のごとく無視されるのと一緒だ。
無視される露出狂ほど恥ずかしいものはない。
以前、俺が書いた記事にネット上から消える時はちゃんとサヨナラを言ってから消えるようなことを書いた時があったけど、それは撤回します。
その時が来たら、ただただ静かに消えるのみだ。
静かにというのは更新をしなくなり、そのまま消えるということだ。
ちゃんと前言を撤回しとかないと、俺の大嫌いな嘘つきになってしまうからね。ちゃんと文章に書いて前言撤回をしとかないと。
よくよく考えたら、サヨナラを言ってから消えるなんて、自分を、まるで惜しまれつつ引退する大物歌手か何かと勘違いしてるみたいで恥ずかしいと思う心が芽生えた。俺ごときのミジンコ発信者が何を人に惜しまれようとしとんねんと。
サヨナラを言ってから消えるなんて、まるでラストコンサートをしてるみたいじゃないか!俺ごときがこんなことしてたら、恥の上塗りだ。
誰にも必要とされてないくせに、最後までカッコつける必要はない。たくさんの草木がひっそりと枯れて消えていくように、自分の発信に需要がないわけだから、段々と更新の頻度が少なくなり、そして最後はなんのサヨナラもなく静かに消えればいいだけだ。
もう、自分の人生の足跡はネットには残した。しかし俺の文章を一回でも読んでくれてる人でも、今は文章どころか俺の存在すら忘れてる人も多いかも知れないが…
でも、それでいい。俺の文章を一回でも読んでくれただけで、俺としては感謝だけだ。感謝の一方通行を、ありがとうのクラクションを鳴らしながら、1人で号泣しながらラストランをするのみ。
俺の文章を読まなくて、いいねだけを押してくれるだけでも十分だ。いいねを押してくれるだけでも、俺のページを開いてくれてるのは間違いないわけだから。いいねを押すのも労力はいる。だから俺はそれで十分。
今日久しぶりに思い出したのだが、数年前に、いろいろなメディアで聞いた「香水」という歌を歌ってた歌手の人が今はどんな活躍してるかは今はほとんどの人は知らないと思う。俺も先ほどyahooニュースを見てたら久しぶりに「香水」という歌の題名が書いてあったから、懐かしくて思い出したのだ。
あんなにYouTubeとかでみんながカバーして歌ってたのに、今ではまるで消えていなくなったかのような扱いだ。
世間とは冷たいね。人ごとながら悲しいよ。
俺みたいな微生物がネット上から消えたって元々何も影響はないが、あんなにヒットした歌の作者でも、たった数年でメディアでの扱いがほとんど無くなってしまう。
40年以上活躍した大物芸能人でさえ、突然のスキャンダルで、今ではほとんど話題にもならなくなった。
人前から消えるって、どんな形がいいんだろうね。
動物の中には最後の姿を見せないように、仲間から離れてヒッソリと死ぬ動物もいると聞くが、あれは研究者によると、自分の死を悟って自分の最後を見せたくないから群れから離れるわけではないという。
自分の死を悟って姿を隠すわけではなく、体調の悪さや体の痛みが何か見えないモノに攻撃されてると思ってるみたいなのだ。だから、その見えない敵から逃げるために一匹で穴に逃げ込んだり隠れたりして、そのまま死を迎えるのだ。
生き物の最後は誰だって無様なものなのかな。
俺も黙って消える前に無様な姿を晒した方が人間らしくていいのかも知れない。
だから、子供みたいに最後のワガママを言ってみようかな。
僕の事を忘れないでね!
と、書きながら、心が露出狂の俺は明日も文章を書くのである。