全て真実の物語。
思い起こせば、最初の小さな旅は小学校入学前の時だったように思う。家がかなりの田舎の山奥で近所の友達の家に行くのも結構遠くて、まだ小さな僕には本当に旅そのものだった。道は狭いし、道路の側はすぐ山で草木が覆い茂ってた。まさにサバイバル。
年上の、てるくんの家に携帯ゲームがあったのだが、それを目当てに毎日遊びに行っていた。何も考えず、自分の暇な時、行きたい時に。
いつもいつも「て〜るくん、あ〜そ~ぼ!」
この掛け声が遊びの狼煙だ。オイラが来てやったぞってなもんだった。
ある時に、いつものように遊びの狼煙を上げた。
「て〜るくん、あ〜そ~ぼ!」
家の中から聞こえた言葉は、
「また来た……」
だった。
一瞬で分かった。歓迎されてない…
てるくんのお母さんの声だ。そうなのだ、人の家に毎日毎日、時間も考えずに押しかけて、時間も考えず居座って、相手にとって迷惑な時間があることを僕は一切考えてなかったのだ。
僕は「また来た…」の声を聞いた瞬間に泣きながら、自分の家に帰った。
それから、二度とその旅路を辿ることはなかった。
今なら分かるが、てる君の家にはてるくんの家のルールがあり、どこの家だって家族水入らずでくつろぐ時間が必要なのだ。だから、てるくんのお母さんに悪気はなく、僕が本当に自分勝手だったのだ。てるくんのお母さんはずっと優しく出迎えてくれてたのに、僕の幼い心が大事な旅先を無くしてしまった。
僕の最初の旅はホロ苦い旅となってしまった。
次なる旅は子供にしてはかなり長い距離、4キロと離れてる小学校への毎日の道のりだった。田舎の道路なので、道端には季節事に花が咲き、ヘビもいればカエルも゙いて、これこそが本当にサバイバルな旅だった。
田舎なので、農作業のトラックが通ることがあるんだが、たまに近所のおじさんが僕の家の近くまでトラックに乗せてくれる時があった。
これに味をしめた僕はもっと効率良く確実にトラックに乗せてもらう方法を考えた。考えた末にした行為は、トラックが来たらわざと倒れ込むだ。
体調が悪そうならば、心配してトラックに乘せてくれると考えたのだ。良く考えなくてもわかるが、まさにチビッコ当たり屋だ。これは何回か成功したんだが、やはり危ないということで、次はトラックが来たら、道路にかんしゃく玉を撒くことにした。
かんしゃく玉とは踏んだり投げつけたりしたら大きな音の出る玉だ。これをトラックが踏んだら音がしてトラックが止まると考えたのだ。まさに小さな半グレだ。しかし、うまくトラックがかんしゃく玉を轢かないから、今度は爆竹にした。
ついに半グレからチビッコテロリストになってしまった。
これは大成功で爆竹の爆音でトラックは見事に停まったけど、あの優しかった近所のおじさんが般若のように怒ってトラックから下りて来たのを思い出す。この危険な旅は僕が高学年になる頃には当然ながら終わりを迎えた。
当たり屋から半グレ、そして最後はテロリストだ。
この旅は呼び名だけ見たら、終わって本当に良かったと思う。
中学の時は家から2キロほど離れた場所に住んでる、かっくんと遊ぶようになってた。ある夏の日、クワガタとカブトムシを捕りにかなりの山奥に2人で行くことにした。かなりの斜面の山だ。命の危険もある旅である。
しかし、クワガタとカブトムシというお宝を捕るためだ。気持ちはインディージョーンズだ。いつもは陽気な、かっくんの横顔も緊張に包まれてる。
クワガタやカブトムシを捕るには、クヌギという木を探さねばならない。そして、その木を足で蹴るのだ。足で蹴った振動によって、クヌギの木に掴まってるクワガタとカブトムシが落ちて来て、それを捕まえるのだ。
かっくんと僕とで夢中でクヌギの木を蹴った。ボロボロとクワガタが落ちてくる。カブトムシは少な目だ。危険を冒して来た山での大漁だ。気分が悪いわけはない。
上の方でもかっくんの華麗な蹴りが炸裂してる。今日の危険な旅は大成功だったみたいだな。そんな時、こんなに天気が良いのに雨が降ってきた。
「天気雨か…天も祝福してくれてるのかな?」
そう、物思いにふけってたら、かっくんが上でオシッコしてた。天の祝福の天気雨かと思ったら、かっくんのオシッコの飛沫だった。
大人になるとオシッコを聖水と崇める人もいるみたいだけど、中学生の僕にはオシッコはただのオシッコだ。
夏の日の危険な虫捕り旅は、かっくんの聖水オシッコ雨で幕を閉じた。
そして、18才の高校生の時の旅が本当に大きな旅になった。就職の面接として大阪に行くことになったのだが、正直、行きたい職場が決まらず、怖かった父親に勧められた車関係の会社に渋々面接に行くことになったのだ。
今までのウキウキドキドキの旅ではなく、憂鬱な旅であり、山奥しか知らない山猿の僕が行く初めての都会であり、初めての一人旅だった。
面接の前日から、その会社の寮に部屋を準備してもらって泊まってたのだが、トイレは共同で僕は初めての大便をしに、その共同トイレに行ったのだ。
すると、そこには流れてない見事な一本ウンチが…
そんな物体を初めて見た。驚いた。これは人間のモノなのか?もしかして、この大都会大阪に魔物がいるのか?
僕は恐怖に震えた…
泊まってる寮の廊下には、睨まれるだけで、石になりそうなほど目つきの鋭い若者や、どこを見てるのか分からない視線の若者などがウロウロしてる。
ここは東京リベンジャーズの世界なのか?
そう錯覚するほど、僕の心は怯えていた。外に出ると当然ながら山も川もない。空は黒く曇ってる。近くのコンビニに行くのが僕にはやっとだった。
「こんな所には住めない…」
大阪という大観光地。そこの良い部分をまったく見ようとせずに、僕は共同トイレの見事な一本ウンチの存在だけで、大阪への価値観を決めてしまったのだ。
そして、人生の大舞台の面接当日。僕の心は決まってた。ここ大阪には住めない、就職を止めるしかない。面接にわざと落ちるのだ。
面接にわざと落ちるならば、もっと上手い言い方があるだろうに、僕は何を何を思ったか面接官の、
「ここの会社を志望した動機はなんですか?」
の問いに、
「父親から行けと言われたので志望しました」
と答えたのだ。なんと命知らずな…
面接官の顔色が変わった。
「親が行けと言ったから志望したのですか?では、あなたはやる気はないのですか?」
その質問には、
「はい、やる気はありません」
完全に怒った面接官は、近くの部下に、
「もう帰ってもらえ!」
そう言い放ったのだ。後になって実感したが僕はとんでもないことをしたのだ。僕だけの問題ではなく、今後この会社は僕の高校の後輩に募集をかけない可能性があるのだ。
僕は自分の高校の顔に泥を塗ってしまった…
帰る時に、この会社の寮から空港へのタクシーに乗った。
運転手が「わしは長年、この会社を辞めた人間をこの寮から何人も乗せたんや。兄ちゃんは何年勤めたんや?」
そう聞かれたから「昨日来て、今日帰ります」と元気に答えた。面接でとんでもない事をしたが、気持ちは晴れやかだった。僕には都会は似合わなかった。自分の命に関わると思ったから、ここでの就職は止めた。
初めて乗った飛行機で来て、帰りも飛行機で帰った。窓から見た大阪の街は僕の後ろ姿を見て泣いてるようだった。
「大阪を嫌いにならないでね、もっと綺麗なトイレの会社の寮もあるから…」
今回の旅の決断に後悔はない。僕は大会社の面接で自分の本当の意見を言ったのだ。みんなは面接に受かるために大なり小なり言葉を着飾るはずだ。しかし、僕は自分を貫いた。人生の大舞台、面接会場にて、
「やる気はありません」
こんなことが言える人間が果たして何人いるだろうか?
僕は今回の旅で大きく成長した。
しかし、学校に帰ると、眉毛と目の位置が入れ替わるほど怒られた。そして、反省文を書かされたのだ。そこにも正直に、
「会社の寮のトイレに見事な一本ウンチがあり、それが耐えられなかった」と正直に書き、また頭皮が裏返るほど怒られたのであった。
しかし、いつもは頑固で怒りっぽい父親は大事件を起こした僕をバス停まで迎えに来てくれ、車の中では、
「そうか、大阪は嫌やったか、なら仕方ない」
そう言って笑って、まったく怒らなかった。
父ちゃんの優しさに僕は心で泣いた…
僕は観光地と呼ばれる場所への旅行はほとんど行ったことはない。しかし、僕にとっては行く場所全てが旅であり、全てが成長する場所だ。
もちろん良い旅ばかりでもないし、良い思い出ばかりでもない。
でも、それでも、全ての旅が輝いて、全ての旅が自分の成長に繋がってる。
旅こそ人生そのものであり、人生こそ自分を成長させる冒険なのだ。