ここで生まれて、ここで終わる


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改めて、ふるさとを書き記す。

 

僕のふるさと、生まれた場所は山奥だ。

 

簡単に山奥と書いてるが、本当は簡単に書けないほどの山奥なのだ。

 

今も携帯の電波が届かない場所だ。父親と母親は今の時代にネットを使った事がない。母親は緊急時のためにと、docomoの携帯電話を契約してるが、今だにガラケーだ。

しかし、電波が届いてないから、住んでる場所では使えない。母親は持ってても使えないから、ガラケーを大事そうに壁に吊るしてる。

 

携帯電話なのに強制的に固定電話となってる。

 

そして、家の周りには人がまったくいない。近所には10人も人がいないはずだ。

 

町の組合の旅行で、最近、母親が旅行に行ったみたいだ。母親曰く、

 

「綺麗な景色やったよ、山の景色は綺麗だし、本当に楽しかった!」

 

母親は山奥から出発して、別の山の観光地に行ったのだ。

 

「山の景色なんて散々見慣れてるたろうし、行く意味あったのか?」

 

そんな言葉が出かかったが、僕は言葉を飲み込んだ。母親にしたら、皆でバスに乗って旅行に行くことが良いのだ、山の景色なんて見慣れてるはずだが、母親には知らない山の景色が良いのだ。

 

実家の庭には家を2つ建ててるが、僕の住んでる方の家の横には川が流れてる。小さな川だが、かなり冷たい。山からの湧き水で、100年以上前から湧き出てる水だ。

僕が子供の時に、水源近くでアマゴの稚魚を放流してたのを思い出す。その稚魚が流れ流れて、いろいろな場所で成長して、それを釣りに行ってた記憶がある。

 

小さい時はどこを見ても遊び場ばかりだった。

 

父親は庭の中に車庫とコイの池と、みんなでワイワイ楽しむ為のバーベキュー場を母親と2人で作ってる。それを手作りしたと聞いた時に、

 

「すげー!北の国からの五郎さんみたいや!」

 

僕は素直に感動した。

 

そんな、たくましかった父親も、僕が実家に戻った時には、頚椎損傷で右半身が麻痺をして、まともに歩くことも出来なくなってた。

麻痺の原因は、最初の右手の軽い痺れを、ただの肩コリだと勘違いしてしまい、うつ伏せに寝た状態の肩の上に母親を乗せて、そこを連日足で踏ませてたのが原因だった。

手術の時に分かったのだが、母親を肩の上に乗せて足で踏ませたせいで首の後ろの骨が粉々となり、それが重い麻痺に繋がったのだ。

 

両親がネットを使えて、ちょっとでもGoogleか何かで、最初の痺れの病状を検索でもしてたなら、こんな結果になってなかった可能性が高い。父親の体の麻痺は本当に悔やむばかりの結果となってしまった。

 

何も知らないとは、時に残酷だ。

 

僕は父親に詳しく説明して悔やんでいると、

 

「まぁしょうがない」

 

そう言って笑うのだ。

 

まだ、父親は人生を諦めてない、そして、人生とはそんなものだと笑い飛ばすのだ。

 

僕のふるさとの標高は高く、街で見上げる空より、空は近くに見え、どこまでも空は青い。道路も僕が小学校低学年までは舗装もしてなかった。

砂利道がアスファルトに衣替えするのを、なぜか自分の事のように誇らしく、はしゃぎながら学校から家に帰ってた記憶を思いだす。

 

ある夏の日に、家から下に1キロほど離れた場所に、初めて自動販売機が設置された時があった。僕は嬉しくて、夏の暑い中、その自動販売機でジュースを買うために、わざわざ歩いて買いに行ってた時があった。

 

家の冷蔵庫には、ちゃんと別のジュースがあるのにだ。

 

しかし、その自動販売機で飲み物を買う人が少ないから、いつしか自動販売機は無くなってしまってた。

 

僕も段々と大人となり、あんなに遊び場ばかりだと思ってた、ふるさとが、なんと不便で恥ずかしい場所だと思うようになってしまった。

携帯の電波が当然のように届く場所、夜はいつでも遊ぶ場所があり、人で溢れて寂しくない街に憧れて、そこにこそ輝く未来があると思うようになった。

 

そして、思春期の僕は父親と不仲となり、高校を卒業したと同時に、ふるさとを捨てた。

 

ふるさとを捨て、音信不通となり、もう戻れないと覚悟はしたが、僕はある人の借金を背負ってしまい、ボロボロの状態となってしまった。

 

もう自分では立ち上がることさえ出来ずに、死ぬことばかりを考えてた時に、父親と母親に助け出された。

 

その時には、もう父親の体は麻痺していたが、父親は借金だらけとなってた僕を、一切、何も責めもせず子供の時と同じように、ふるさとに迎え入れてくれた。

 

僕は全財産を失い、そして心の支えも失ったまま、もう二度戻らないと切り捨てた、ふるさとに戻って来た。

 

父親と母親は僕の戻る場所を守ってくれてた。

 

父親は本当は僕のように外に出たかったみたいだ。しかし、祖父が障害者で足が悪かった為に、祖母から家を継いでくれと頼まれた。それを言われた父親は激しく反抗して、その日家を飛び出した。しかし、夕方になって戻って来た父親は、

 

「家を継ぐ」

 

そう一言言ったそうだ。

 

この日、父親は自分の夢を捨てた。

 

その父親が、僕の帰る場所を作ってくれてた。僕は今だに全ての面で父親に負けている。

 

そんな父親が作ってくれた家に僕はまた戻った。

 

全てを無くして、心も空っぽになって戻って来たが、今は少しづつ、心は前向きに動いている。

 

全て無くしたと思ってたけど、僕にはこのふるさとがあった。

 

父親と母親が守ってくれてた、戻る場所があったのだ。

 

「ここで生まれて、ここで終る」

 

 

僕の人生を簡単な言葉で表すと、こうなりそうだ。