地方の過疎化が深刻だ。
俺の住んでる地域もどんどん人がいなくなってる。
それの原因は若者が都会に出て行ってるのと、後は単純に人が亡くなっていってるからだ。俺の家から山の上の方には2人しか人が住んでないが、その2人の夫婦も80歳以上と高齢だ。
もう、この地域の全ての人間がいなくなるのに20年もかからないだろう。
道路も人が使わないと自然に帰っていく。アスファルトを突き破って植物が生えてきて、そして人間の痕跡を消そうと草木が覆い茂る。
自然の力強さを海外の例で言うと、
チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起こった。15万人もの周辺住民は二度と自宅に戻ることは出来ずにいる。
今から38年も前の事故だ。今でも人間は事故の周辺には住むことは出来ない。
しかし、研究者はこの地域に生息してる動物の数は30年前より増えてる可能性があると指摘した。人間は住めないのに、なぜ動物の数は増えるのだ?
動物の生態系が事故前より多様性を増してるのだ。決して、自然を取り戻すべく人間が何かをしたのではない。
理由は簡単。
人間がいなくなっただけだ。
なんてことだ、原発事故の放射線汚染より人間が住んでることの方が動物に対して酷い世界だったなんて…
地球にとっては人間の存在はジャマでしかないのかも知れない。
この先の未来では、人がいなくなるように地球自らが自己浄化作用を引き起こすかも知れない。
命あるものは、いつか死を迎えて、そしていなくなる。
自分もそうだが、なかなか、自分がいつか死ぬのが現実的には実感が湧かない。しかし、いつかこの世からいなくなるのだ。今は父親も母親も健在でいて当たり前だが、残酷なようだが親もいつか必ずいなくなる。
ちょっと前の俺が交通事故にあった時に、父親が事故後の車の状態を見て、
「本当によく生きてたな…」
と、呟いた。そして改めて日常とは死と隣り合わせなのを痛感したようで、なんと自分たちのキャッシュカードの暗証番号を俺に教えてくれた。
祖母が死んだ時にお金を引き出すのにかなり面倒な手間があったらしくて、それを踏まえて今の内に暗証番号を教えてくれたのだ。キャッシュカードだとすぐに必要なお金は引き出せるからと言って。
ジワジワと人が消えゆく田舎の現実に俺たちは日々直面している。
俺は都会というほどの都会には行ってないが、それでも人に疲れ、夢破れ、もう都会への憧れはとっくに無くなってしまった。
もちろん、都会の便利さはありがたい。ちょっと外に出ればコンビニは近くにあり、お金さえあれば遊ぶ場所には困らないし、人が多いから遊ぶ人にも困らないだろう。
しかし、たくさんの人と関わるということは、ある程度は自分を偽らないといけない。人の話に合わせなきゃならないし、苦手な人とも楽しそうに過ごさなきゃいけない。
でも、そうするのは都会で生きるのに都合が良いからだ。
俺も人と揉めるぐらいなら、相手の喜ぶことを言っときゃいいだろと、とんでもない思考になってた。その時の会社では普通にほとんどの上司は不倫してたし、女性も平気な顔して会社内で不倫相手と仕事してた。
でも、上司の人は日曜日とかは楽しそうに子供と遊んでるのだ。奥さんもたのしそうにしてた。
汚い世界だなと思ってたが、いつしか俺も、そんな世界が当たり前になってたのだ。
嘘ついて当たり前、不倫して当たり前、奥さんを裏切って当たり前。
そして、それを肴にお酒を飲むのだ。今度入った新入社員の女の子は可愛いぞ!と。そして上司はまた「俺があの子いこうかな」と笑って話したりもしてた。今の不倫相手もいるのにだ。
今になって、こうやって文章にすると、とんでもない会社だなと思うが、その当時の俺は一緒になって笑ってたのだ。
その当時の環境に完全に染まってた。
俺の住んでる県でも、若者が都会に出て行ってる。それも20代の若い女性が多いのだ。
なんてことだ!うら若き可憐な女性が都会のネオンに惹かれて戻ってこない。これが過疎地の現実だ。
でも、俺の就職の時もそうだったが、やはり都会に一度は行って住んでみたいのだ。実際に都会に行ってみないと自分に合うか合わないかは分からないから、都会に行く前から若者を止めたって無理に決まってる。
しかし、大事に育ててくれた親や生まれ育った地域から離れるということは、一番自分を大事にしてくれて、この世で一番信頼出来る人間がいる地域から離れるということを意味する。
ずっと都会にいると自分を絶対に裏切らずに信用出来て、自分を一番大事にしてくれる人間を見つけるのが、いかに難しいかが分かる。
そして、それに気づいた時には、いつも変わらず待っててくれて本当に大事にすべき人がいなくなってる可能性がある。
俺は幸いにも、大事な人が生きてるうちに気づいて、そこに戻ってこれた。
その人たちは今日も元気に農作業してる。
今日も楽しそうにNetflixで映画を見てる。
まぁ、これに気づくために俺は色々なものを失ってはしまったが、まだ健康であり命もある。
いつも、いつまでも、自分を変わらず待っててくれる人が元気なうちに、その人に感謝を伝えることが出来たら幸せな人生だなと思います。